六地蔵 / 自然居士
2024/11/27
銕仙会能楽研修所(南青山)で今年最後の青山能は、仕舞二番と狂言「六地蔵」、能「自然居士」という番組です。
まず仕舞二番は「隅田川」(観世銕之丞師)と「花月キリ」(小早川修師)で、前者は女が隅田川の渡守に乗船を乞い狂い舞う部分(我もまたいざ言問はん都鳥〜
)、後者は少年花月が天狗にさらわれて山々を経巡ったことを舞いつつ語る部分(とられて行きし山々を〜
)です。この日の能「自然居士」が子供を扱っていることにちなんで子別れの主題を持つこれらの二曲が選ばれたものですが、長期旅行をはさんで4ヶ月ぶりに見る三間四方の能舞台と、その上で自らの身体と舞台そのものを共に楽器として重厚に響かせる能楽師の姿に、この世界へやっと戻ってきたという感慨を覚えました。
六地蔵
この狂言は初見。およそこの種の公演ではその日の能に何らかの関連がある狂言が選ばれることが多いですが、この「六地蔵」も「自然居士」が居士=在家修行者を主人公とし、かつ幼き者を救済する話であることにちなんで選ばれたのではないかと思います。
さて、まず舞台に登場した田舎者(山本則孝師)が、建立した辻堂に六体の地蔵を納めるため都に上って仏師に地蔵を作ってもらおうと思うと述べると、道行のうちに都の賑やかな風情を眺めて感心しきりでしたが、はたと自分が仏師の姿やどこに住んでいるかを知らないことを思い出します。しかし周囲の様子から往来で呼び歩けばよいのだと気づいた田舎者が「仏買おう、仏買いす」と呼ばわり歩いていると、頭巾を頭に乗せ十徳をまとったシテ/すっぱ(山本凛太郎師)が橋掛リに現れ、寺を出た心の直ぐない者だと名乗った後に田舎者に目を止めて舞台に入り、脇柱近くまで進んでから振り返って田舎者に呼び掛けました。以下、問答の中で田舎者が「幸せ」と「仕合わせ」(オーダーメイドの衣装のこと?)を取り違える小ネタをはさみつつ、シテは田舎者に自分が仏師であると信じ込ませることに成功して地蔵製作を請け負います。ここで六体ほしいという田舎者にシテは、六地蔵とは言ってももとは一体が六体に現れたものであるから一体でいいではないかと言うと、それぞれの地蔵の特徴を次のように説明しました[1]。
尊名 | 持物・印相 | 担当 |
---|---|---|
みやうび地蔵 | 錫杖 | 無間地獄 |
むに地蔵 | 本願をもって | 餓鬼道 |
しやりさん地蔵 | 数珠 | 畜生道 |
しやうりう地蔵 | 鉾 | 修羅道 |
そく地蔵 | 衣 | 人道 |
ふくりき地蔵 | 手を合わせて | 天道 |
和泉流ではすっぱが田舎者からこうした六体の特徴を巧みに聞き出すことで地蔵に扮する手掛かりを得る流れになっているそうですが、ここでは思いがけないシテの知識の深さに驚いてしまいます(寺を追い出されたという前置きがあったのもその伏線かもしれません)。しかしこれを聞いた田舎者はますます六体がほしくなってしまい、仕方なくすっぱも六体作ることを約束しました。そして代金は作ってからの話ということにし、納期は急ぎなら明日の今時分、急ぎでなければ来年の今時分とずいぶん違いがある提案をして田舎者を困惑させましたが、ここでもすっぱは仏師の流れを運慶・湛慶・安阿弥[2]の三流と説明した上で、自分は安阿弥の流れであり弟子を数多く抱えているので、髪・手・足などとパーツごとに作らせて自分は膠をちょっちょっちょとつけて回れば一日でできるし、自分一人ですべて作るのであれば一年かかると解説すると、田舎者は今回は急ぐのでと言って分業方式を選択。明日、五条の因幡堂で引き渡すことを約束してシテと別れ、後見座に移動してクツロギました。
田舎者を見送ったシテが脇座で独白の後、舞台と橋掛リの際まで進んで揚幕に向かって呼び掛けると、今度はすっぱ仲間二人が現れました。舞台上で向き合った二人にシテが経緯を説明して協力を求めると、二人もシテをほめそやしつつ快諾しました。しかし三人で六体?という当然の疑問に対しては、後堂で三体、脇堂で三体、それぞれ印相を変えて見せればよいのだとシテが説明して協議が整い、二人の仲間は大小前あたりで見所に背を向けて着座して地蔵に化ける準備をします。
ここで舞台上は翌日になり、後見座から前へ出てきてシテと再会した田舎者は、まず代金を確認して一体につき万疋と言われその高値にいささかたじろいだものの、急がせたから仕方ないとこれを受け入れます。しかし支払いは仏像を見てからだということになってシテは田舎者をまず後堂へ送り出しますが、次の瞬間、シテは笛前あたりへ駆けて他の二人と同じく見所に背を向けて素早く準備をすると三人そろって脇座から地ノ前にかけて立ち並びましたが、見ればそれぞれ乙面(お多福のような女性面)を掛け、手には三種の持物を持って片手で施無畏印らしきものを示しています。像の前には荒菰が垂れ下がっているという設定らしく、これを引き上げてみると目の前に約束通り三体の地蔵像が立っていて田舎者は感激するのですが、身丈が揃っていない上に印相が気に入らないと難色を示した田舎者は次に脇堂に向かいます。このときシテがシッシッと合図をして三人揃って橋掛リに移動すると、そこに後見があらかじめ配置しておいた各種持物を手にして残る三体に扮しましたが、再び荒菰を上げた田舎者はやはり身丈が揃っていないし印相が気に入らないので直してもらおうと独りごちると仏師を呼び出しました。
素早く舞台に戻り面を頭の後ろに回して仏師の体を装ったシテは何食わぬ顔で田舎者に相対し、身丈が揃わなかったのは急いで作ったためだが印相の方は自分が印を結べばすぐに直ると豪語するとシテに再度地蔵像を見るよう促し、その上で他の二人と共に脇座あたりに先ほどとは異なる印相で立ちました。しかし、確かに印相が合掌に変わってはいるものの気に入らない田舎者は、次に脇堂(橋掛リ)を見に行って新たな姿の三地蔵に接し、やはり気に入らぬとシテを呼び出します。ここで田舎者はシテを同道し、像の前であれこれ注文したいのだがと申し出ますが、それでは地蔵像に化けられないシテは当然拒否。自分は忙しいので田舎者ばかりにはかかわっておられないのだと苦しい言い訳をしたところ、田舎者はシテの後ろに何か物がちらつくようだと指摘してシテをギクリとさせます。
ここから田舎者は、シテの言葉に従って「仏、仏……」と唱えながら後堂と脇堂を交互に見ていくのですが、そのスピードがアップしたためにすっぱ三人組は大変。どたばたと舞台上を移動しては新たな印相で地蔵像に扮し、そのたびにポーズが両腕を宙に上げたり腕を組んで横一列になったり可愛らしく首を傾げたりとコミカルなものになっていくものの、その努力にもかかわらず田舎者を満足させることはできません。シテを呼ぶ田舎者の台詞はいつの間にか「仏師殿」から「仏師、仏師」とぞんざいになり、シテの方も「回って回って」とすっぱ仲間に指示するのが精一杯になっていくうちに、とうとう混乱したすっぱ同士が錫杖の取り合いをしているところを見つかって、三人は口々に「許いてくれい」と言いながら田舎者に追い込まれて行きました。
純朴な田舎者が都(または鎌倉)に出てすっぱに騙されおかしなものを買わされ(そうにな)るという曲は、ほかに「末広」などがありますが、この曲では騙すはずだったすっぱたちがかえって田舎者に翻弄される賑やかなドタバタが理屈抜きに楽しく、見所からも笑い声があふれました。なお、この「六地蔵」の類曲(むしろ原曲)に「仏師」という狂言があり、そこでは仏像は一体ですっぱが仏師と仏像とを何度も成り変わっているうちに正体が露見するのですが、かたや「六地蔵」でも和泉流三宅派の場合は、シテの成り変わりの忙しさを緩和するために仲間を三人出し、シテ自身は地蔵にならないのだそうです。
自然居士
「自然居士」はこれまで2010年と2019年にいずれも喜多流で観ており、特に後者については詳細な記事を残してあるので、ここでは筋書きは大雑把に追うにとどめ、流儀に基づく演出の違いや特に印象に残った点に絞って記録するにとどめます。
まず最初の違いは、喜多流を含む下掛三流では〔名ノリ笛〕と共にワキとワキツレが現れるのに対し上掛二流では狂言口開となる点です。アイ/雲居寺門前ノ者(山本則秀師)の朗々とした触れの後、その呼掛けに応じて登場したシテ/自然居士(鵜澤光師)の出立は漆黒の水衣に掛絡、薄い浅葱色の大口、面は明るい色調が若々しく中性的にも見える小喝食。一ノ松から見所(=雲居寺の境内に集まった聴衆)に向かって雲居寺造営の札召され候へ
と語りかけると、常座に進みアイが設えた床几に掛かって説法を始めます。するとそこへ小袖と諷誦文を抱えた子方/女児が登場しましたが、ここも喜多流では少年であったのに対し、観世流を含む他流では少女です[3]。ともあれその姿に気づいたアイが子方を目付柱の近くに連れていき、小袖をシテの前に広げると共に諷誦文をシテに渡すと、シテはこれを読み上げて女児が亡き両親の供養のために我が身を売って得た小袖を供え物としたことを知り、子方を見やるとはたと文を畳んでシオリました。
そこへ登場したのはワキ/人商人(大日方寛師)とワキツレ/人商人同輩(則久英志師)の悪役二人。この「自然居士」は数ある謡曲の中でもとりわけワキ・ワキツレの悪役ぶりが際立つのですが、この日の大日方寛師も橋掛リで名乗ってから舞台に入ると子方を見つけ、声色・表情とも憎々しさ全開でワキツレに子方を引き立ててくるよう命じます。するとワキツレも舞台に入り、空気を切り裂くようなスピードで角に走り寄ってドン!と子方の前に膝を突き大音声で立てとこそ
。その剣幕は子方が本当に怯えるのではないかと心配になるほどでしたが、狂言座からこれを見たアイが止めようとしたところ常座に進んでいたワキは最初はアイを見もせずに低い声で様がある
とドスを効かせ、それでもアイが食い下がると今度は向きを変えて欄干越しにアイを睨みつつ刀に手を掛け大声で様がある
と恫喝し、アイを様があらば連れて行かうまでよ
と引き下がらせてしまいます。おそらく「自然居士」を観たことがない人はここでのワキとワキツレのド迫力に息を呑んだだろうと思いますが、アイを引っ込ませた後のワキたちは悠然として、子方を伴い脇座に位置を移しました。
一方、ことの次第をシテに伝えたアイは、シテがワキたちは人商人であろうと看破するとそれなら大津・松本(琵琶湖岸の渡船場)から東国に向かうだろうから自分が行って止めてこようと立ち上がりましたが、ここでシテはアイを制止してかれは道理こなたは僻事にて候ふほどに、御身の留めたる分にはなり候ふまじ[4]
、ついては自分が小袖を持って行くと決心を固めます。しかしそれでは七日の説法が無駄になってしまうと驚くアイにシテは、説法は聞くだけではなんにもならず善悪の二つを弁別するためのものなのであって今の女は善人、商人は悪人、善悪の二道ここに極つて候ふはいかに
と扇で膝を叩きました。かくしてシテが説法の終了を宣言すると、アイは床の小袖を畳みシテの後ろに回ってその首に小袖をマフラーのように巻きつけました。
上記の通り、自然居士が床几に掛かったのは(大小前ではなく)常座で、その後の雲居寺境内での出来事もすべて舞台中央を使わず脇正面に寄った空間で演じられていたのには、脇座(=琵琶湖)との間の距離感を強調しようとする演出上の意図があったのではないかと推察しましたが、どうでしょうか。
ここで右肩を脱ぎ手には櫂に見立てた竹棹を持つワキとワキツレが立ち上がり、〈一セイ〉今出でて、そこともいさや白波の、この舟路をや急ぐらん
と強く歌い出すことで場面転換を示すと、この間に橋掛リに移動していたシテは二ノ松[5]から招キ扇をして遠くワキたちの舟に呼び掛けました。喜多流ではこの呼掛けは常座から行われていましたから、ここでも距離感の強調がなされているわけですが、シテに人買舟に物申さう
と大声で言われてワキが慌てると、その隙に距離を詰めてきたシテは今度は一櫂、二櫂のひと櫂と呼んだのだと屁理屈をくらわせてから、とにかくこれは返すぞと首の小袖を素早くとってはっしとワキたちの前に投げつけ、さらに踏み込んで右手で舟べりを押さえる型を示します。その気迫に加え法衣をまとう姿を打つこともできず、ワキたちの怒りの矛先は子方に向かうのですが、この日の演出ではワキツレが子方を櫓櫂でさんざんに打つ型(実際には扇で棹をバシバシと叩く)を見せました。声を出さない子方に心配して駆け寄るシテからは慈愛があふれ、続くワキとの押し問答の後に舞台にどっかと座り込んだ姿にはたとえ脅されても一歩も引かない意思の強靭さが示されて、このあたりは鵜澤光師自身に備わる人間力が前面に出ている感じがします。
とうとうお手上げといった様子で櫂を捨て肩を戻したワキとワキツレは、大小前に場所を移し向かい合って着座して、どうしたものかと相談します。ここでワキツレが「人商人が都に上って人買いがうまくいかず説教者を連れ帰ったなどと人に言われては大変だから、女児は返すしかあるまい」と言う詞章もあるのですが、この日はそうした理屈づけはなく、単に「自然居士は舞の名手だと聞いているので舞を舞わせ、その後さんざんになぶってから返すことにしてはどうか」と提案してワキも同意するという運びでした。
ついでワキは角に立って正中に座しているシテを見下ろすとその前をゆっくり通過しながら舞を所望し、シテは油断なくその動きを見上げながら応答するという心理戦が展開して、まるで現代劇を観ているよう。さらに地頭から受け取った烏帽子をワキがシテに渡し、シテは常座に移って後見の手によって掛絡を外し烏帽子をつけた姿になると、ワキは「烏帽子が似合うではないか」と揶揄する口調で皮肉(?)を言い、これに対してシテは「女児をただ返せば無念なので居士をなぶって恥を与えようとするのだな」と恨み節を述べるモダンなやりとりもあって、ここからシテによる芸尽くしになります。
まず舞われるのは〔中之舞〕。リズミカルな大小と流麗な笛に乗って舞われるこの舞の途中で、角から正面に回ったところからぱっと動きが変わってテンポが上がる場面でのシテと囃子方との鮮やかなシンクロに息を飲みました。しかしこれを舞い納めたところで「舞が短くて見足りない」とワキが文句を言うと、今度は神話時代の中国に遡る舟の起こりとそのめでたさを謡う〈クリ・サシ〉を経てゆったりした中でも所作の一つ一つにメリハリのきいた〔クセ舞〕を舞い、続く〔簓之段〕は船中に竹がないので扇と数珠をすり合わせ(るのですがいずれも長すぎる袖に隠れてしまい)つつ小柄な身体からは想像できないほど力強い足拍子を轟かせます。最後に鞨鼓を打つよう求められたシテがこれで最後かと確認するとワキも自分に断ることなく女児を連れ帰ってよいと請けあって、ここで再び(後見座ではなく)常座で肩を上げ、鞨鼓を紐で腰の前に止める二度目の物着。その上でワキが高らかに謡うもとより鼓は
から始まった〔鞨鼓〕は、前回鑑賞した際に学んだところでは「いやいや舞っているので省略形になっている」はずなのに、その撥を高く掲げる姿からは開放感が溢れ出し、橋掛リまで使って舞台狭しと巡りつつ力強く踏む足拍子に観ている方もすばらしい高揚を覚えます。しかし、最後に常座で撥を捨てたシテは扇を開いて子方へ駆け寄りこれを立たせて揚幕へ送り出すと、常座で見送ってから背筋をすっと伸ばした美しい立ち姿で留拍子を踏んで、一曲を締めくくりました。
青山能恒例の終演後の小講座は、今日は観世淳夫師が講師。解説のポイントを箇条書きにすると次のようでした。
- 今日の自然居士は、謡本を手元にして見ていたら「あれ?」と思ったかもしれない。ワキ方・狂言方の流儀[6]との組合せによって辻褄が合わなくなることがあり、そういう場合は演者同士で話し合って詞章を変えるためである。なお《古式》という小書がつくと、シテの出の場面に結縁灌頂を表す長い詞章が加わる。そこに重きを置くのはこの曲の主題に照らして違うだろうということから省略されてきたが、横道萬里雄先生と観世寿夫師によって復活され、今もときたま上演される。
- 自然居士は演技チックなので、役者としてはいろいろ工夫してみたくなる。舟を実際に出したり、烏帽子の紐(正式は紫)を田舎くさく水色や赤にしたり。
- 自然居士は、お坊さんなんだけど髪を生やしておしゃれでかっこいい役。今日の光さんは黒の水衣と浅葱色の大口で上品・真面目なお坊さんという印象だったが、水衣や大口の色を変えてチャラくすることもできる。かと思えばワキに対して熱血に詰め寄ったり、口論になったらちょっとバカにして煽っているように見え、人買舟のくだりなどもすごい屁理屈。そういう面白みのあるこの曲を楽しんでいただけていたら幸いである。
配役
仕舞 | 隅田川 | : | 観世銕之丞 | |
花月キリ | : | 小早川修 | ||
狂言大蔵流 | 六地蔵 | シテ/すっぱ | : | 山本凛太郎 |
アド/田舎者 | : | 山本則孝 | ||
アド/すっぱ | : | 山本則秀 | ||
アド/すっぱ | : | 山本修三郎 | ||
能 | 自然居士 | シテ/自然居士 | : | 鵜澤光 |
子方/女児 | : | 安藤玄恵(安藤継之助代演) | ||
ワキ/人商人 | : | 大日方寛 | ||
ワキツレ/人商人同輩 | : | 則久英志 | ||
アイ/雲居寺門前ノ者 | : | 山本則秀 | ||
笛 | : | 杉信太朗 | ||
小鼓 | : | 田邊恭資 | ||
大鼓 | : | 佃良太郎 | ||
主後見 | : | 鵜澤久 | ||
地頭 | : | 北浪貴裕 |
あらすじ
六地蔵
御堂を建立し、安置する六体の地蔵を買い求めに都へと出た田舎者。しかしどこで仏像を買えば良いか分からぬ田舎者は、往来で大声をあげて仏師を呼び歩くことにする。そこへすっぱ(詐欺師)が現れ、自分こそ仏師だと名乗ると田舎者はその言葉を信じ、翌日の仏像の受け渡しを約束して一旦別れる。さてすっぱは二人の仲間とともに仏像になりすまし、田舎者の金をまんまとせしめようと企てるが、いざ田舎者に見せてみると印相が気に入らないと難癖をつけられ、あれやこれやと姿形を変えてみせているうちに混乱して、ついに企みが露見してしまう。
自然居士
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