チュルリョーニス展 内なる星図
Imp. 954
2026/04/08
国立西洋美術館(上野)で「チュルリョーニス展 内なる星図」を見てきました。本展覧会の公式サイトにおける紹介文は次のとおりです。
リトアニアを代表する芸術家、ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875-1911)。祖国リトアニアにおける生誕150周年の祝賀ムードを引き継いで開催される本展は、日本では34年ぶりの回顧展。国立M. K. チュルリョーニス美術館が所蔵する主要な絵画やグラフィック作品、約80点を紹介します。人間の精神世界や宇宙の神秘を描いた幻想的な作品の数々のうち、謎に包まれた最大の代表作《レックス(王)》が日本で初公開。また、音楽形式を取り入れた連作や、自身の手になる楽譜、展示室に流れる旋律をとおして、優れた作曲家でもあった画家の個性と感性を体感していただきます。2000年以降、オルセー美術館(パリ)をはじめヨーロッパ各地で展覧会が開催されるなど再評価の機運が高まるチュルリョーニスの世界をぜひご堪能ください。
チュルリョーニスのことはこの展覧会の告知があるまで知らなかったのですが、各地に掲示されたポスターのメインビジュアルとなった《祭壇》の暖かい色使いや寓話的なモチーフがかつて見たレメディオス・バロを想起させたことに興味を持ち、上野へ足を運ぶことにしたものです。


国立西洋美術館の屋外に掲示されているのは《祭壇》、そして地下1階のロビー奥から来場者を睥睨するのは《レックス(王)》。いずれも存在感のあるこれらのビジュアルをじっくり眺めてから、会場に入りました。
展示は三つの章とその前後にプロローグおよびエピローグを置き、比較的こじんまりとした構成になっています。以下、それぞれのコーナーのあらましと主な作品を手短かに紹介していきます。なお、引用はいずれも会場に掲示されていた説明からの抜粋です。
プロローグ
チュルリョーニスは1875年にリトアニア南部の町で教会オルガン奏者の息子として生まれ、やがてワルシャワとライプツィヒの音楽院で作曲を学んで職業音楽家としての道を歩んでいましたが、20代の後半に絵画の道を志すようになり、1904年の春、28歳で新たに開校したワルシャワ美術学校に入学します。プロローグでは、現存する数少ないこの時期の作品である《森の囁き》(1904年)が取り上げられていました。

暗い画面の中に並ぶ縦の線は森の木々ですが、その上に霞んだ大きな手が浮かぶことで、木立が竪琴の弦にもなる構成になっています。この絵の右に小さく見えているのは本作制作の前年に弟ボヴィラスへ宛てた絵葉書で、そこでは竪琴を弾く手がより具象的に明るい色合いで描かれており、画家の発想の道筋が窺えます。この絵画と音楽、あるいは視覚的なものと聴覚的なものの融合という本作のテーマ
は、主に本展の第2章で発展した姿を見ることができます。
第1章 | 自然のリズム
弟よ、僕たちの故郷がどれほど素晴らしいか、君が知っていたなら。そこには誰にも乱せない完全な調和が満ちていて、皆がまるで美しい色の調べ、あるいは美しい和音のように共に生きている一古びたわが家、果実をたわわに実らせた木々、草原の眺め、ネズの木が茂る丘と森、そしてその向こうに日ごと沈む夕陽。
1908年9月7日、弟ボヴィラスへの手紙より
この章で取り上げられるのは、主にリトアニアの豊かな自然にインスパイアされた作品群ですが、写実的な風景の描写ではなく自然の生命感が抽象的にとらえられ、抒情的な気分や象徴的な意味を吹き込まれ
てそこに並びます。

連作《閃光 I・II・III》(1906年)では、光の群れが生起し、浮遊し、流されていく様子が描かれています。そして《閃光 III》には奇妙な人物が立つ青い門が描かれていますが、チュルリョーニスの絵画において「門」は現実と幻想、此岸と彼岸、可視的世界と不可視の領域を隔て、かつ結びつける通過点を象徴する、重要なモティーフ
であり、本作はその門を介して閃光=精神の欠片たちが変容を遂げようとする様子が描かれていると解釈されるということです。


続いて四季の移ろいを描く作品群が並びます。《春》と題された4点(いずれも1907年)は春の訪れを告げる鐘楼、雪解け、流水、葉を茂らせた木と花々といった具合に、季節の進行が木を中心とするさまざまな情景の中に描かれていて、青緑系統の淡い色調ながらも明るい気分が画面から伝わってきます。また《夏》(1907年)は、空と大地を結びつけるように高く伸びる木々の細い幹が密度の濃い空間を作っていますが、これは水彩のように薄めたテンペラ絵具を流れ落ちさせたものです。


秋はなくて、次は《冬》8点(いずれも1907年)。白と黄を基調としつつ、雪や氷の中でさまざまな姿を見せる樹木が描かれていますが、中でも5点目の燭台と共にある樹木の神々しい姿には目を惹きつけられました。
おそらく多くの日本人がそうであるように、私もリトアニアという国には行ったことがないのですが、これを機にその地理や気候を調べてみると、最終氷期にこの地を覆った氷河が後退した後に残されたなだらかな大地(最高地点の標高が292m)に多くの湖や湿地帯が広がり、広葉樹と針葉樹が混交する湿地林が国土の3分の1を覆い、寒暖の差もあまりなく、全体的に穏やかな土地柄であるようです。《春》の豊かな水の描写や《夏》に描かれる地平線までうねるように続く大地、《冬》の雪に覆われながらどこか温かみを感じる様子も、こうした知識を持った上であらためて見直すと、チュルリョーニスがリトアニアの風土に対して抱いた愛着を追体験できるような気がします。
第2章 | 交響する絵画
解説の教えるところによれば、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパでは絵画と音楽の統合を目指す画家が少なくなかったそうですが、プロの音楽家でもあったチュルリョーニスの場合は色彩による共感覚的表現にはほとんど関心を払わ
ず、むしろ音楽の構造を絵画の構造に応用しようと試みた
点に独創性があったということです。
具体的には、「連作」という絵画形式によって空間芸術である絵画に時間の流れを導入
し、それぞれの絵もまた水平に分節された複数の独立した層からなり、各層(あるいは声部)が音楽における対位法さながらに共鳴することで、多層的・流動的な空間を形成しつつ、多声管楽的な響きの印象を生
む構造を有しています。

この《プレリュード、フーガ》(1908年)は、水面に浮かぶ一艘の舟(生命の象徴)を描く《プレリュード》(未完)を短い導入部として、続く《フーガ》が湖面を囲むモミの木の姿を通して慈愛に満ちた母なる自然の庇護を描いています。特に《フーガ》においては、木々の複数の層が声部の重なりを、木々の姿の反復がリズムを示していますが、上部の木と湖面の鏡像には必ずしも対応していないところがあり、そこにも音楽的な躍動感を感じることができます。

《第3ソナタ(蛇のソナタ)》(1908年)は《アレグロ》《アンダンテ》《スケルツォ》《フィナーレ》の四楽章からなるソナタ形式。第1から第7まであるソナタ作品群のうちの3作目です。褪色したように淡い色調の黄土色と黄緑からなる画面の中に共通モチーフとして蛇(叡智の象徴)が置かれ、また《アレグロ》に描かれる建築物の石垣は珍しく明確な輪郭線からなる石の積み重なりが鮮やかな印象を与えます。

《第5ソナタ(海のソナタ)》(1908年)は《アレグロ》《アンダンテ》《フィナーレ》。永遠の生命の象徴としての海を描くこの三楽章は、それぞれの絵の中にリズムを持ちながら全体としても動-静-動の変化を形作っています。
![]() |
![]() |
![]() |
細部に目を凝らすと、《アレグロ》ではまず波の泡立ちの細かい描写に目を惹きつけられた後に、徐々に画面の上(遠景)へと視線を誘われる層構造が効果的、《アンダンテ》ではリトアニアの神話世界を思わせる海底の王国の様子が神秘的、そして葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》を参照したと言われる《フィナーレ》の波濤の中に泡の連なりによって記したイニシャル「MKC」(Mikalojus Konstantinas Čiurlionis)がチュルリョーニスの「海」に対する思い入れを示すよう。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
そのことを裏付けるように、《第5ソナタ(海のソナタ)》の前後ではチュルリョーリスの海にまつわる言葉が引用され、チュルリョーリスが作曲した交響詩「海」の一部がスピーカーから流されていました。なお、この曲が遠くから聞こえてきたとき「なぜ『ツァラトゥストラ』がこの会場で?」と勘違いしてしまったことは内緒です。

そして、この章で最も心惹かれたのが《アレグロ》と《アンダンテ》の二楽章からなる《第6ソナタ(星のソナタ)》でした。ここまでの作品とは趣を異にする幾何学性と象徴性を有するこの連作は、共に上から1/4の高さに天の川を示す1本の横線で貫かれていて、前者では半透明の波の中に浮かぶ星々の運動を司る何者かが画面最上部の中に浮かび、後者にはクローズアップされた惑星の彼方に黄金の三角形と天の川の上を歩く天使の姿が描かれます。リトアニアでは、天の川は死者の魂が歩む道であり、その彼方で魂は生き続けるとされるそうですが、これらの絵の前に立つとそうした伝承もさることながら、宇宙の脈動を伝えるかのように押し寄せる重力波を可視化したもののようにも見えてきました。
第3章 | リトアニアに捧げるファンタジー
リトアニア運動について聞いているかい?僕は、過去も未来も含めたすべての作品をリトアニアに捧げる覚悟だ。
1906年1月7日、弟ポヴィラスへの手紙より
14世紀にはヨーロッパ最大の版図を有する国だったリトアニアも、18世紀末以来、ロシア帝国の支配下で厳しい抑圧を受けていました。しかしロシアの混乱(第一革命は1905年〜)を受けリトアニアにおいて民族解放の機運が急速に高まる中で、チュルリョーニスもリトアニア固有の文化の再評価を通じた国民のアイデンティティの回復を目指すようになります。この章では、そうした文脈の中で制作された作品群が取り上げられています。

《ライガルダス I・II・III》(1907年)は、チュルリョーニスの作品としては唯一の地誌的な風景画
で、起伏の少ないリトアニアの谷の風景が描かれていますが、そこにはかつてライガルダスという美しい町があり、繁栄を謳歌する中で人々が神に対する敬意と謙虚さを失ったためにその怒りに触れ地中深くに沈められてしまったという伝説が残されているそうです。つまり一見牧歌的なこの絵は、今でも静かな夜には「助けて、助けて、沈んでしまう!」という悲痛な叫び声が聞こえるというこの地の失われた過去の記憶を記録したものです。

《リトアニアの墓地》(1909年)に描かれる十字架は自然崇拝や祖霊信仰の伝統とキリスト教の象徴が融合して生まれた、同国を代表する独創的な伝統文化のひとつ
であり、リトアニア独立の願いをこめた「静かな抵抗」の象徴でもあったということです。そうした背景を知ると、この絵の中で魂の道標
である北斗七星の下に立ち並ぶ十字架が、祈りを捧げる人々の姿のようにも見えてきます。


ちなみに、この十字架には動植物や天体をモチーフとした装飾的意匠が施され、キリスト像や聖人像が収められた「祠」を載せたものもあるという説明が付されていましたが、その独特の形状は日本の笠卒塔婆を連想させるものでもありました。

《プレリュード(騎士のプレリュード)》(1909年)も、神秘的な雰囲気を漂わせる作品です。リトアニアの首都ヴィリニュスとおぼしき都市の上空を駆け抜ける騎士(ヴィティス)のモチーフは、14世紀から18世紀末までリトアニア大公国の国章に描かれたものであり、民族の誇りの象徴ですが、この世のものならぬその透明な姿にはずいぶん昔に見た小谷元彦の《Hollow》を思い出しました。

画家自身は物語の解説を行わなかったという《おとぎ話 I・II・III》(1907年)には、山、城、鳥、王女、そして三作に共通するモチーフとして綿毛のタンポポが描かれており、それらのダイナミックなイメージの中から鑑賞者(画家にとってはリトアニアの民衆)が自由におとぎ話を紡ぎ出すことができるようになっています。


こちらは《おとぎ話(城のおとぎ話)》と《おとぎ話(王たちのおとぎ話)》(いずれも1909年)。明るく祝祭的な気分を漂わせる前者とは対照的に、後者では暗い森の中で二人の王が掌中に輝くドームに見入っていますが、ドームの中に姿を見せている村は自らの声を上げようとしているリトアニア文化そのものを表しています。
そしてこの章の最後に置かれた作品は、フライヤーの表面を飾った《祭壇》(1909年)です。モチーフの形態自体はシンプルでいながら、高い塔を上空から鳥瞰する視点の高さが独特の広がりを画面にもたらしている本作には、最後の《レックス(王)》と共に「民族解放」という枠組みを超えた普遍的な思想性が込められていると解されているため、ここでは会場における解説(部分)を引用するかたちで紹介します。
本作はチュルリョーニスによる最もモニュメンタルな絵画のひとつである。中央の巨大な祭壇は、ピラミッド状の4つの階段からなり、壁面には計8つの場面が表わされている。各場面には、塔、橋、騎士、天使などチュルリョーニス作品に馴染みのモティーフが組み合わされ、下から上へと独自の象徴的な物語が展開している。その主題は、おそらくは騎士の旅に仮託した人間の精神の旅であろう。
エピローグ
1908年以降、チュルリョーニスはサンクトペテルベルクに制作の拠点を移し、ロシア画壇から高い評価も得ていたものの、経済的には報われることがありませんでした。そうしたチュルリョーニスの身に起こったことを会場の説明は過度の仕事と精神的緊張は、芸術家の傷つきやすい心と健康をしだいに蝕んでいった。1909年の暮れには、チュルリョーニスは重い病の床に伏していた
とオブラートに包んでいましたが、実際には精神を病んで療養所に収容された末に、1911年に風邪をこじらせた肺炎によって35歳で亡くなってしまったということです。
ここで各章の冒頭に掲示されていた解説を眺め直してみると、プロローグにおいて解説の上半分を占める余白部分の左下に描かれていた3羽の鳥は、章を追うごとに1羽ずつ折り紙の鳥となって飛び立っていましたが、 このエピローグでは3羽揃って遠ざかっていく様子が小さく描かれており、あたかもチュルリョーニスの魂が天に召されていく様子を示しているようでした。
そしてこのエピローグに置かれていた本展最後の作品は、日本初公開の《レックス(王)》(1909年)です。ここでも、まずは会場における解説(部分)を引用します。
本作は、チュルリョーニスが生涯に手掛けた最大の絵画である。画面の最下部には水面が広がり、その上の燃えさかる祭壇から、地球の地平線を越え、幾重にも折り重なる天上の領域が垂直方向に展開していく。モノクロームの明暗の繊細なバランスと、木々や彗星、天使といったモティーフの反復はリズムを生み、画面の多層的構造はポリフォニーの響きを奏でる。中央には、あたかも宇宙の軸を体現するかのように、本作の主題である「王レックス」が王冠を戴き玉座に座している。さらに、その姿を反復しつつ包み込むかたちで、より大きな影の王が立ち現われる。
これは本当にすごい。一種メタリックな輝きを放つ地球の上に地平と空が層をなして連なり、天使たちの行列の上から太陽と三日月がそれぞれの光を投げかけ、そうした重層的な世界の全体を統べるように白い王と黒い王とが半透明の姿を表しています。この絵の前に立つと、最初のうちは何が描かれているのか理解できずに困惑するのですが、じっと目を凝らしているうちに王たちの姿やその背後の宇宙の様相が見えてきて、やがて画面の中に吸い込まれていきそうになりました。この展覧会の中でも別格の存在、まさに「王」だと言ってよい作品です。
上記のようにあれこれと感想を記しましたが、実は本展の担当研究員による以下の解説動画を見れば、この展覧会の全貌がただちに理解できます。手際よく整理された情報の質と量もさることながら、淡々とした口調の中にさりげなく散りばめられた理知的な語彙の豊かさにも脱帽。この動画自体が一つの作品として成立しています。
冒頭に記したように、これまでその名前も知らなかったチュルリョーニスの絵を見ようと思い立ったのはレメディオス・バロとの共通性を想像してのことでしたが、実際に見てみると画風はかなり異なりました。シュールレアリスムの系譜に位置付けられるバロの精緻な絵が持つ形態・色彩の鮮明さやあざといまでの寓話性に対して、チュルリョーニスの絵は象徴主義とは言いつつもくすんだ色彩と柔らかな描線でリトアニアの風土を再構築したかのような牧歌的な味わいがあり、本展の第2章までは言葉を選ばずに言えば「地味」ですらあります。それでも音楽と絵画とを融合させようとする独創的な試みにはいたく感銘を受けたのですが、第3章に入ると様相が一変し、民族主義の主張を明らかにした《リトアニアの墓地》《プレリュード(騎士のプレリュード)》を経てさらなる思想の高みに達した観のある《祭壇》《レックス(王)》に至る展開は畳み掛けてくるよう。特に最後の《レックス(王)》は、これ1点だけでも本展に足を運んだ価値があったと思わせる作品でした。
チュルリョーニスは、わずか6年間の画業の中で300点以上の作品を手掛けたということですが、こうした晩年の作品の充実ぶりを見ると、もし彼が長生きをしていれば《レックス(王)》の後にどのような作品が生み出されただろうかと想像したくなります。とは言うものの、チュルリョーニスが亡くなった後のリトアニアは第一次世界大戦の戦場の一つとなり、1918年に独立を勝ち得ながらもポーランドの侵攻によって領土が分割され、仮にチュルリョーニスが存命であれば51歳を迎えたはずの1926年には軍事クーデターが起きて、やがて第二次世界大戦中に独立を失うことになります。おそらく、チュルリョーニスの繊細な精神にとってはますます耐え難い歴史のうねりがその死後に待っていたわけですから、彼にとって長生きすることが幸福だったかどうかはわかりません。
本展で目にすることができた作品群も、そんな時代背景の下で制作されたものだったことを、あらためて認識する必要がありそうです。
「チュルリョーニス展」と共に、ワンフロア下の会場でなぜか「北斎 富嶽三十六景井内コレクションより」が開催されていました。これには「なぜに西洋美術館で浮世絵?」という素朴な疑問が湧きましたが、北斎をはじめとする浮世絵はジャポニスムの重要なパーツですし、上述のとおりチュルリョーニスの《第5ソナタ(海のソナタ)》にもその影響が窺えるということですから、あながち突飛なことでもないかもしれません。
そうは言っても、この日はあくまでチュルリョーニス目当てで上野に足を運んでいたので、貴重なコレクションであるとは理解しつつもざっと流し見る程度ですませてしまいました。しかし、だからと言って説明を省略するのもさすがに申し訳ないので、本展の特記事項に軽く触れておくことにします。


目玉展示の一つは、現存屈指の優れた摺り・保存状態を誇るという《神奈川沖浪裏》。そしてもう一つは、「赤富士」として知られる《凱風快晴》の希少な藍摺販、通称「青富士」です。この「青富士」にはさすがにびっくり、なんだこれは?という感じです。
本展では、これらを含むシリーズ全46図が一挙公開されている上に、一部作品は表裏両面から見られるようになっていました。さらに、北斎の署名のバリエーションを分析することによって、6回に分けて出版されたこのシリーズの出版順序を明らかにする工夫も施されていて、これはこれで充実した展示でした。
![]() |
![]() |








