川合玉堂
Imp. 960
2026/06/11
山種美術館(恵比寿)で「特別展 川合玉堂 ―なつかしい日本の情景―」を見てきました。まずは例によって、山種美術館のサイトから本展の開催趣旨を引用します。
山種美術館は1966(昭和41)年、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館し、本年60周年を迎えます。それを記念する特別展第1弾として、日本画家・川合玉堂(1873-1957)の画業を振り返る展覧会を開催します。
当館創立者の山﨑種二(1893-1983)は、多くの画家と直接交流しながら作品を蒐集しました。玉堂の作品だけでなくその人柄にも惹かれていた種二は、しばしば玉堂邸を訪れるほどの間柄でした。その縁から当館の所蔵となった玉堂作品は71点を数え、コレクションの中で重要な位置を占めています。
玉堂は、円山・四条派の基礎の上に狩野派の様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓きました。また、東京画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章しています。日本の山河をこよなく愛した玉堂は、四季の自然や田園風景とそこに暮らす人々を情感豊かに描きました。玉堂による古き良き日本の原風景ともいうべき世界は、見る者の郷愁を誘い、日本の自然の素晴らしさを改めて気づかせてくれます。
本展では、初期の代表作である《鵜飼》など明治期の作品から、琳派研究を通じて誕生した大正期の《紅白梅》(玉堂美術館)、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した玉堂芸術の真骨頂ともいえる《春風春水》や《早乙女》、戦後の第1回日展に出品された《朝晴》まで、名作の数々とともに、玉堂の画家としての足跡をたどります。
私が初めて山種美術館を訪れたのがいつだったかは記録が残っていないのですが、兜町にあったことは間違いないので1998年以前。つまり、少なくとも28年間以上の付き合いということになります。したがって、その長い付き合いの中で川合玉堂の作品は数多く見てきており、近いところでは2021年に開館55周年記念の「川合玉堂」も見ているほか、奥多摩にある玉堂美術館にも御岳渓谷でのボルダリングのついでに何度か足を運んでいます。
そうは言っても、いいものは何度見てもいい。後述する「Cafe椿」での和菓子も楽しみにしつつ、この日も恵比寿に向かいました。

巻頭を飾るのは、フライヤーにも採用された「早乙女」です。田植えに精を出す女性たちの姿を穏やかに描いたこの作品の世界はまさに「なつかしい日本の情景」ですが、早乙女たちの明るい笑顔がとりわけすてきです。続いて、全体をほぼ時系列に沿った三つの章とプラス一章の合計四つの章に分けて、川合玉堂の作品がずらりと並びます。
第1章 研鑽の時代 ―明治期
まずこの章の最初に出てくるのは初期の代表作とされる《鵜飼》(1895年)。巍々たる岩山の山水表現とその足元で鵜を遣う鵜匠たちの写実的な表現の組合せが目を引きます。眼下の魚を狙うゴイサギの一瞬の緊迫感を捉えた《夏雨五位鷺図》(1899年)の隣には墨画淡彩の《陶淵明之図》(1902年)。玉堂が人物画でも類稀なセンスを持っていたことがわかる作品で、太い松の木を背に地面に座り酒器を傍に置いて微笑を浮かべ遠くを見やる陶淵明の表情が滋味深く、太さ・濃さを自在に操る輪郭線の美しさもさることながら、頭巾が透けてその下の髷や耳がうっすら見えていることにも注目です。
第2章 玉堂芸術の確立 ―大正から戦中期
この時期の玉堂は色彩・構図をより意識するようになったという解説があって、まず注目したのは《行く春》の小下図。いくつものパーツを切り貼りした小下図は、4月に東京国立近代美術館で見た六曲一双の屏風絵《行く春》の制作過程がよくわかって興味深いものでした。また、昭和天皇の大嘗祭のために制作された《昭和度 悠紀地方風俗歌屏風》の小下図は、狩野派風のくっきりした雲霞(色は紺)の下、右に春の伊吹山と夏の竹生島、左に秋の瀬田唐橋と冬の比良を描くものですが、橋の上にちゃっかり自転車が走っているところが当世風俗を取り込んでいて、つい山口晃を思い出しました。


この章の白眉となるのは、やはりこの《紅白梅》(1919年)でしょう。見てのとおり、思い切り琳派の様式に沿った大作ですが、右の白梅を手前に、左の紅梅を奥にと遠近さを設けて写実的に描いて、尾形光琳の紅白梅図のような抽象化はなされずあくまで梅林の情景となっているところが特徴です。
この後には主として軸装の作品群が並びますが、それらの多くの絵は練達の筆致で描かれた日本の山水の中にひそやかに人の営みを垣間見せて、本展のタイトルの通りの懐かしさを覚えさせるものばかりです。その代表格と言えるのが、5年前の「川合玉堂」展のキービジュアルとなった《山雨一過》(1943年)です。

この作品については2021年の記事で褒めちぎったのでここでは細々書きませんが、面白かったのはこの作品の原風景が含まれた写生帖でした。ちょうど《山雨一過》の場面が示されていたのですが、それを見ると見開きの右ページがこの《山雨一過》に対応しており、左ページにはさらに左に続く遠い山並みが簡潔に描かれていて、全体としてはとても雄大な景観を構成しているのに、玉堂があえて右ページの構図だけを切り出したことがわかりました。
なお、この章の中に「戦時下の玉堂」と題した一群の作品があり、冒頭の《早乙女》は実はここに属するものだったのですが、その穏やかな表現とは対照的にごつごつした岩とそこに砕ける波濤とからなる海景を力感強く描く《荒海》が異彩を放っており、何が玉堂にこの絵を描かせたのかが気になりました。
第3章 画業の円熟 奥多摩時代 ―戦後
ここには、戦時中に奥多摩に疎開し、そのままそこに定住した玉堂の作品群が並びます。牧歌的な奥多摩の四季折々の風景に題材をとりながら、作品によっては景観がスケールアップして崇高さすら感じさせる描写に何度も足が止まります。

5年前もそうして足を止めて見入ったこの《朝晴》(1946年)は、戦後に再開された文展改め日展の第一回展に出品された作品で、やはり画面中央左寄りに点景として描きこまれた人と馬の姿が、この作品を味わい深いものにしています。また《遠雷麦秋》(1952年)は斜面の中腹にある麦畑で刈り入れに勤しむ人々を前景に描いた作品で、その向こうには霧に蓋をされた谷をはさんで大きな山並みが描かれており、奥多摩の景色にしてはいくぶん雄大すぎますが、それも玉堂の奥多摩愛がなせるわざだったのかもしれません。
第4章 玉堂のまなざし
最後の章は、玉堂の親しい人々との関わりの中で描かれた作品と、身近な動物たちを描いた絵が第2展示室も使って並べられます。次男のお嫁さんがクローズアップされた《花をいけて》(1919年)は、屋内で生けたばかりの花を眺める和装の若い女性の姿を慈愛のこもった目線で描き、見ている方も優しい気持ちになる作品。動物たちは鴨、猿、猫、兎とさまざまですが、川辺を歩く黒い熊が笑っているような目でこちらを見ている《熊》(1946年)がかわいらしく、世の中の熊がみなこいつのような性格のいい熊だったら近年頻発している熊害も起こるまい、などとおかしなことを考えてしまいました。

今回は開館60周年記念の特別展とあって、珍しく図録が用意されていました。コンパクトなサイズで手に取りやすく、一部の絵にはクローズアップも含められていて、まさに珠玉の永久保存版。本展の鑑賞を終えたらミュージアムショップで買い求めることをお勧めします。なお、8月には特別展第二弾として「奥村土牛」が予定されているので、そちらも図録が刊行されることを期待しています。
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- ▲フライヤー表面:川合玉堂《早乙女》(部分)
- ▲フライヤー裏面(左上→右下):川合玉堂《紅白梅》 / 《山雨一過》 / 《夏雨五位鷺図》 / 《瀑布》 / 《鵜飼》 / 《春風春水》 / 《渓雨紅樹》 / 《氷上(スケート)》
鑑賞を終えた後、例によって美術館の1階にある「Cafe椿」で今回の展示にちなんだ和菓子と抹茶のセットをいただきました。青山・菊家が作った和菓子の名前と絵画の対比は次のとおりです。
| 和菓子 | 絵画 |
|---|---|
| 田植え歌 | 川合玉堂《早乙女》 |
| 山に咲く花 | 川合玉堂《石楠花》 |
| しらなみ | 川合玉堂《荒海》 |
| 雨後の風 | 川合玉堂《山雨一過》 |
| 雨きたる | 川合玉堂《遠雷麦秋》 |
毎度どれにしようかと迷うのですが、今回は《田植え歌》《石楠花》《山雨一過》の絵葉書を買い求めたので、残る《荒海》と《遠雷麦秋》にちなむ和菓子をチョイスしました。
- しらなみ
- 巌にくだける荒波。波しぶきは餅を加工した氷餅で、巌は小豆で表現しました。菊家特製のこしあん入りです。(こしあん)
- 雨きたる
- 実りの初夏を迎えた麦畑、遠くの山には雷鳴が轟いているようです。季節の情景を描いた一幅を和菓子にしました。(シナモン風味練切り・こしあん)


いずれも絵の世界観を見事に再現した造形に感心するばかり。もちろんお味も絶品でした。まあ、どうせもう一度山種美術館に足を運んで、他の和菓子もいただくことになるでしょうけれど……。

