山口華楊展
Imp. 965
2026/07/16
SOMPO美術館(新宿)で「山口華楊展」。例によって、公式サイトに掲載されている開催趣旨を以下に引用します。
日本画家・山口華楊(1899-1984)は、西村五雲(1877-1938)に入門後、京都市立絵画専門学校に入学。主に動物を主題とした作品で頭角を現します。五雲の亡き後は画塾・研究団体である晨鳥社を再興し、京都画壇を代表する画家の一人となりました。本展では、当館が収蔵する華楊の代表作3点を中心として、初期から晩年までの画業を通覧します。京都ではなじみの深い華楊ですが、東京では27年ぶりの回顧展です。
ここに東京では27年ぶりの回顧展
とある27年前の展覧会を私は松屋銀座で見ていて、したがって今回の回顧展は自分にとっても久しぶりの山口華楊との再会となります。ただし、この間まったく山口華楊の作品を目にしていなかったかと言えばさにあらず、山種美術館で《木精》《生》といった同館所蔵品は見る機会を得ていたのですが、今回のようにまとまったかたち(44点 / うち1点は前後期で展示替えあり)で見るのは松屋銀座以来です。

本展の章立ては、次の通りです。
- 第1章 初期作品
- 第2章 系譜―師・五雲から華楊へ
- 第3章 探究―植物表現の生命力
- 第4章 大成―「偉大なる動物画家」として
第1章 初期作品
京都の友禅染職人の家に生まれ、13歳のときから京都画壇の重鎮・西村五雲に師事した華楊の初期の作品が並びます。いずれも作品の内容的にも歴史的な位置付けとしても重要なものばかりですが、特にとりあげておきたいのは次の三点です。
- 《角とぐ鹿》(1918年)は、大きな樹の幹に角をこすりつける鹿の姿を生き生きと描いており、その若々しい肢体と活力に満ちた表情(特に目)から、華楊本人が画面の中の鹿と一体化しているように感じます。本作は19歳にして二度目の文展入選を果たした作品ですが、小下絵の段階で師に見せたところ、絵画専門学校で指導を受けていた竹内栖鳳からは褒められたのに対し西村五雲からは描き直しを命じられて板挟みになったというエピソードがあります。
- 《葉桜》(1921年)画面全体を一本の桜の木の豊かな枝葉が覆う絵で、樹の足元の蛇やドクダミ、アザミがポイントになっていますが、自分にはその良さを掴むことが難しい作品でした。この蛇にはいわくがあって、桜の木の下の蛇を見つけてとったスケッチをもとに制作にかかったところ写生が不十分だったことに気づいて焦ったものの、ある日下宿先の近所で手頃な蛇を見つけこれをつかまえて部屋の柱に縛りつけて写生したのだそうです。
- 《素秋》(1932年)も面白い。華楊の作品の中では異色と言えるかもしれませんが、瓢箪を垂らした棚にとまる烏を描くその構成には下村観山の《唐茄子畑》を連想しました。
第2章 系譜―師・五雲から華楊へ
西村五雲の作品《園裡即興》(1938年)は猛獣の餌にされようとしていることも知らずに篭の内外で寛ぐ2羽の兎を硬い筆致で描いたもので、編まれた篭の輪郭線の強さも華楊とははっきり異なるように思います。ともあれこれは、古くは江戸期の丸山応挙に始まり明治に入って竹内栖鳳から西村五雲、そして山口華楊を経て竹内浩一にまで連なる、写実と花鳥画 / 動物画を特徴とする京都画壇の系譜の一断面を示すものです。
この章での華楊の作品で最も魅了されたのは《犢こうし》(1941年)です。草を食む仔牛の姿を優しく描いていますが、その足元の草の一つ一つに視点が合っているような描き込み方による様式性・抽象性を持つ草原が淡い色合いで広がり、どことなく儚げな雰囲気も漂います。
第3章 探究―植物表現の生命力
動物画家とはいわれるが、私は動物と、それに劣らないくらいの数の樹木、花を描いてきたと
いう華楊の言葉を冒頭に置いて、植物を描いた作品がここに並びます。やはりどれをとっても魅了される作品ばかりで、しかも記憶の中の絵と比べると「この絵ってこんなに大きかったんだっけ?」と驚くほど一点一点が大きい。とりわけ、頭を垂れた葉を枯らそうとしている向日葵とその足元にすっくと立つ赤い鶏頭を穏やかな色彩で描く《白露》(1974年 / 「白露」とは二十四節気の第15で秋の訪れを意味する)や、庭石を背景に置いてこれまた力強く茎を伸ばした赤い鶏頭にフォーカスした《鶏頭の庭》(1977年)、そして青々とした柿の葉の陰にひそむ黒猫を描く《青柿》(1978年)が大画面で並ぶさまは壮観です。特に《青柿》は、その名が示すように「柿の下にうずくまる猫」と言うより「猫を葉の下にひそませる柿」が主体であると見ることができるのですが、とある女性鑑賞者はよほど猫が気に入ったのかその目の前にしゃがみこんで見入っていました。
第4章 大成―「偉大なる動物画家」として
「偉大なる動物画家」というのは、華楊の最晩年にパリで開催された個展のサブタイトルにちなむ言葉です。
- 《黒豹》(1954年)は画面のこちらを睨みつけるように見上げる2頭の黒豹をしなやかに、かつ力強く描いたもの。向かって右の豹の身体が見切れているのが不思議なのですが、そのことでかえって画面の外への広がりを思わせるようでもあります。
- 山種美術館からやってきたおなじみの《木精》(1976年)や、猫好きならスルーできないこと間違いなしの《秋晴》(1976年)なども並び、華楊が晩年に至るまで旺盛な制作意欲を発揮し続けたことを窺わせます。
- 展示のほぼラストを飾る《月夜野》(1971年)と《幻化げんげ》(1979年)はいずれも朧月夜の牧場に遊ぶ狐たちを描くもので、前者は「静」、後者は「動」という対比がなされます。特に《幻化》の幻想性と気品は絵葉書やフライヤーからでは伝えきれないもので、なんとしても実物を見てもらいたい傑作です。なお、華楊は写生の補助として写真を使うことはめったになく、その代わりスケッチをもとに粘土で像を作って対象の姿勢や見る角度を検討したそうです。そうした粘土像は絵が完成すれば破棄されるのですが、狐だけは華楊の没後にも残っていたので、これをもとに鋳造したブロンズ像が展示されていました。
この日は平日だったため館内は比較的すいており、しかも展示されている作品は官展をはじめとする展覧会への出品作=大作が中心だったので、一つ一つの絵をその前に立ってじっくりと鑑賞することができました。大半の作品は27年前に見ていますが、それでもどの絵にも新鮮な気持ちで接することができて、描くものと描かれるもの同じ生きもの同士
と語った華楊の目がとらえた動物たちや植物の命の輝きと、大画面の隅々まで行き届いた華楊の心配りとを感じ取れました。
- ▲フライヤー表面:《幻化》
- ▲フライヤー裏面(左上→右下):《凝視》 / 《葉桜》 / 《猿》 / 《秋晴》 / 《制空》 / 《日向》 / 《白露》 / 《犢》

なお、展示室の出口付近には当館の目玉であるゴッホの《ひまわり》(1888年)が展示されており、これだけは写真撮影が可能でした。