兎、波を走る(NODA・MAP)

2023/07/28

東京芸術劇場(池袋)で、NODA・MAP「兎、波を走る」。

この芝居はチェーホフの『桜の園』の設定を外枠(現うつつの国)として借りながら、そこで三人の作家によって描かれる劇中劇(妄想の国)を通じて脱兎の告白・懺悔と、そこに寄り添うことでアリスを探し求める旅を続けるアリスの母の姿を描いています。アリスの母と脱兎はときに現の国に姿を現し、また現の国の人物たちも妄想の国に引きずり込まれますが、現の国は仮装現実に取って代わられようとしており、一方で妄想の国に拉致されたアリスのここは、妄想するしかない国ではなくて、もうそうするしかない現実なんだという言葉は彼女の境遇の深刻さが絵空事ではないという事実を容赦なく観客に突きつけてきます。この芝居を観る者は、そこに描かれた史実をリアルとして学び直す義務を負うことになるでしょう。

2021年の「フェイクスピア」に続き高橋一生が出演し、松たか子さんは2019年(2022年再演)の「Q : A Night At The Kabuki」以来野田作品7作目。NODA・MAP初出演の多部未華子さんが主題の一翼を担うアリス役を演じ、秋山菜津子・大倉孝二の盤石の常連二人と共に、NODA・MAPでは「半神」以来24年ぶりの山崎一と昨年の「パンドラの鐘」で存在感を発揮した大鶴佐助が脇を固めます。公演日程は、東京公演が2023年6月17日から7月30日まで、その後に大阪と博多に回って8月27日が千秋楽です。

開場時刻(18時15分)頃に東京芸術劇場に入ると、プレイハウス入口前には当日券を求める長蛇の列。上記の通り東京公演の最終日間近とあって、その内のかなりの数がリピーターではないかと推測します。自分があえてこのタイミングでチケットをとったのは、上演を重ねることで熟成された舞台を観たいという動機と共に、NODA・MAP公演の常として上演期間の途中に戯曲が発表されるのでこれを予習することで深い理解が可能になるためです。

舞台プランは上の写真(終演後に撮影)の通りですが、最初は舞台上には大道具の類がなくフラットで、階段や滑り台、建物の枠組みなどは必要となる都度持ち込まれます。また舞台背後は写真のように切れ込みの入った黒い壁が左右からスライドすることで菱形の開口部が広くなったり閉じたりする作りになっており、さらにこれらが全開になったところへハーフミラーの壁が降りてきて鏡の国のようになることもあります。

◎以下、戯曲のテキストと観劇の記憶により舞台を再現します。ここを飛ばしたいときは〔こちら〕へ。

明るいタンゴ調のBGMがフェードアウトして客席が暗くなり静寂が支配した舞台上に、やがてストリングスと電子音を混在させた緊迫した音楽と共に海の音がフェードインし、左右から渡されたロープがアンサンブルの手によって揺らされることで波の動きを示し、そこへ最初は四角い紙に投影された姿として現れた脱兎(高橋一生)が素顔を見せて以下の独白を力をこめて語りました。

不条理の果てにある海峡を、兎が走って渡った。その夜は満月。大きな船の舳先が、波を蹴散らしては、あまた白い兎に変わった。アリスのふる里から逃げていく船は、代わりに兎をふる里に向かって走らせた。僕はその兎の一羽。不条理の果てからアリスのふる里へ、とりかえしのつかない渚の懐中時計を、お返しに上がりました。

この台詞を語り終えた脱兎が姿を消した後に舞台上の雰囲気ががらっと変わり、元女優ヤネフスマヤ(秋山菜津子)が今の男の台詞がわからない!みんなそう思っていると思うわと嘆いてからの一連のやりとりを通じて、彼女は自分が子供の時に母親と一緒に見た「アリスの話」を自分が保有する遊園地(遊びの園)のアトラクションとするべく作家に執筆させようとしていることがわかります。ところが、元女優の土地は来る11月15日に競売に掛けられることになっており、ここでこの遊園地の話はチェーホフの『桜の園』の構造を借りていることがわかります。「アリスの話」を執筆しているのはチェーホフの曾曾孫にあたる第一の作家=智恵豊富(大倉孝二)、遊園地の土地の競売に関わる不動産業者はシャイロック・ホームズ(大鶴佐助)。そこへ現れたアリスの母(松たか子)の第一声は次の通り。

私はあなたにあと何回、『行ってらっしゃい』が言えるだろう。あと何回、あなたは私に『ただいま』を言ってくれるだろう。『行ってらっしゃい』は無限ではない。『ただいま』にも、いつか限りが来る。そのことに気づかない。鰯雲が広がる空の下、行ってらっしゃいと言えたあの頃……そう、いのちは毎朝、らせん階段をのぼっている。永遠に同じ朝は来ない……『今朝は少し寒いよ、白いコートは着たの?アリス、行ってらっしゃい』

脱兎の冒頭の独白とアリスの母のこの第一声とは、この芝居の結末近くの二人それぞれの言葉と呼応することになりますが、そこまでの間にはたっぷり2時間ほどの時間がかかります。ともあれ、迷子を探しているという体で登場したアリスの母は「あなた」と呼んだ自分の娘・アリスの失踪に脱兎の仲間が関わっていることを知って脱兎を問い詰めますが、このことは智恵豊富が書いている脚本には書かれておらず、早くも「アリスの話」はねじれを見せ始めます。

智恵豊富の脚本に基づくリハーサルの中で、水色の大きなリボンに水色の服のアリスは脱兎に酒を飲まされて『不思議の国のアリス』(以下単に『アリス』)の通り大きくなったり(巨大な衣装から顔と手を出して衣装の中で担ぎ上げられている模様)小さくなったり(身体を舞台の開口部に入れて首だけ出している状態)。遊園地のアトラクションで未成年に酒を飲ませてよいわけがなく、このため智恵豊富は元女優からダメ出しをくらいますが、元女優には兎が見えていないばかりか、本当はアリスの母が言うところの娘も実在しないのではないかと疑います。ともあれ不条理劇を指向する智恵豊富に見切りをつけた元女優が次に頼ったのはベルトルト・ブレヒトの曾孫である第二の作家=ベルトトルト・ブレルヒト(野田秀樹)で、社会派を標榜する彼はアリスの物語にピーターパンの要素を持ち込み親のない子供たちに「親なんているもんか!」と叫ばせ、これ以降ブレヒトの『三文オペラ』に由来する「マック・ザ・ナイフ」が挿入曲として多用されることになります。

場面変わって脱兎とアリスの母の対話。脱兎はアリスが「もう、そうするしかない国」=「妄想するしかない国」にいると告げて自分が逃げてきたその国でのアリスの話をするために脱兎の如く走り出し、その姿が舞台上から舞台裏へ、螺旋階段へ、そして空へと跳び出していきましたが、特に空を飛んでいく場面の処理は見事。それまで走る脱兎の姿は背後のスクリーンに映し出されていたのが、ここでは人の手によって舞台上に掲げられた小さな紙に宙を行く脱兎の姿が投影されて素晴らしい浮遊感を漂わせました。ただしそうした脱兎の姿を見ることができるのは、彼がずっと監視カメラの支配下にあることを示してもいます。舞台上で実体を取り戻した脱兎はピーターパンの姿をしており、そこには東急半ズボン教官(山崎一)とピーターパンもどきたち(アンサンブル)がいて脱兎を出迎えましたが、ここでネバーランドとして描かれる場所は脱兎の回想または伝聞の中での訓練機関であること、彼の「冒険」とは「任務」のことであることが明らかになります。そこにいるアリスは一同からお母さんになってくださいと求められて困惑しており、そのアリスにアリスの母が遠くから帰ろうと呼び掛けた次の瞬間、舞台上が現実の世界に戻って元女優とブレルヒトが芝居のリハーサルを台無しにしたアリスの母をなじります。その最中に競売会場から戻ってきたホームズ自身が「遊びの園」を落札したことが告げられましたが、ここを無線機を持った兎三羽が通り過ぎたとき、元女優とブレルヒト、それにどうやら智恵豊富にも兎の姿が見えた様子。このため、彼らもまた現実の世界(遊びの園)から妄想の国へ引きずり込まれることになります。

その前に、まずアリスの母が妄想の国へ戻るとそこはアリスが酒を飲んだ穴倉で、アリスの母も同じように酒を飲んで気も体も大きくなり、劇場を取り壊そうとする「外の現実」を排除。その現実の世界ではこの頃から徐々に、仮想空間を支配する第三の作家=初音アイ(初音ミク風のアニメーション)がホームズと繋がり始めます。一方、アリスの母は妄想の国の教練の場でアリスと遂に対面しましたが、アリスの母がアリスを抱きしめようと駆け寄っても二人の間を遮るような半透明の円盤を手に持つアリスは逃れてしまい、抱きしめることができません。アリスの母がどうしたら抱きしめられるのかと脱兎に問うと共に、アリスもどうやったらお母さんのところに帰してもらえるのかと教官に問い掛けたところ、教官はアリスにこの穴倉での言葉=アナグラムを勉強せよと命じます。ここで助け舟を出したアリスの母は「USAGINAMIWOHASHIRU」を「I AM A USAGI. NOW I RUSH.」(私は兎です。だから急いでます)と読み換えましたが、アリスはさらに一歩進めて「USAGI」を「USA-GI」(アメリカの兵隊)と正しく見抜き、なぜ彼らが米兵を名乗ろうとしているのかがわかればここを出ていけると喜びました。しかし、このとき教官の口調は違うね、アリスと冷たく変わり、それが分かったから、君はここから出ていけなくなったんだと言い放つとアリスを連行していきます。

アリスが連れ去られた後にも続く教練の中で脱兎が亡命を決意した瞬間が再現されたところで、今度は元女優やブレルヒトが妄想の国に連れて来られ、さらに智恵豊富も一人で鏡の壁の向こうを彷徨います。ここでは妄想の国は『アリス』の世界観に染められており、元女優は三月兎、ブレルヒトはヤマネの姿となり、さらにハートの女王は初音アイの声。

このように元女優と二人の作家が妄想の国に拉致されたのは、第三の作家である初音アイが筋書きを書き換えたから。ホームズと初音アイとのAR(拡張現実)談義の後に舞台は再び妄想の国となり、脱兎との会話を通じてアリスの居所のヒントをつかんだアリスの母がふと気づくと、彼女の横にいたのは宙に浮かぶド派手な目とにやりと笑う大きな口が不気味なチェシャ猫……ではなくてチュチェ猫(大倉孝二)です。背後に流れる壮大な国歌を聞きながら、しかし猫の名前とは裏腹に主体性を失った元女優と作家二人は『アリス』の「Mad Tea-Party」のやりとりを再現してみせましたが、混沌とした彼らの振る舞いも実は初音アイの仕業。彼らが退場した後に残されたアリスの母は、再び相見えたアリスとなぜか赤ん坊を取り合う羽目に陥りますが、ここでの女よ、われを助けよ以下の一連の台詞や生みの母と育ての母との引っ張り合いはブレヒトの『コーカサスの白墨の輪』をかなり忠実に引用していると共に、実はアリスが妄想の国に拉致されてから相当の期間がたってそこで出産を経験していることをも示しています。

ここまででわかってきたように、アリスが登場する場面や教練の場面はアリスの母が脱兎から聞かされる回想や伝聞なので、アリスが君はもう死んだことになっていると言い聞かされたり、さらに遡って脱兎たちが教練に初めて参加したときの様子をアリスの母は歴史の傍観者として眺めることになる一方で、このあたりからアリスの母とアリスとが「ドキッとした!」という言葉で時空を超えて鼓動を通じ合わせる場面が増えていきます。ディズニー版『ピノキオ』のようにクジラのお腹(工作船の船倉)に閉じ込められて妄想の国に連れて来られたアリスは、拉致されて異国にとどめ置かれている今の境遇をここは、妄想するしかない国ではなくて、もうそうするしかない現実なんだと語ると助けて下さいというこだまを残して姿を消し、一方、現の国では元女優と二人の作家が妄想の国ならぬメタバースから生還を果たすものの、現実感を喪失して半ば夢うつつのよう。

そして、いよいよクライマックス。

教練の場では拉致の実習が行われ、そこで手本を示すのは無表情の脱兎。人間性を失ったその姿を非難するアリスの母を無視して、ここはネバーランド、地上の楽園だと讃える兎たちが「マック・ザ・ナイフ」に乗って踊ると、その狂乱は壮大な国歌演奏と共に亡命してきたハイジャック犯たちを歓迎するハートの女王のパレードに引き継がれました。その喧騒の最中に逆に現の国への亡命を決意した脱兎は、パレードを離れて平熱38度の国境線に近づくと鉄条網を越えて塹壕の穴に飛び込みます。監視カメラではなく銃口が上手と下手から覗いて緊張感が高まる中、意を決して塹壕から抜け出した脱兎が現の国の歩哨所へと近づいていく様子を塹壕の穴から見守るのはアリスの母。しかしこのとき、下手から無言で走り込んできたアリスの青い影が舞台上に開けられたもう一つの穴に飛び込みました。アリスは脱兎が亡命しようとしていることを知りその後を追ってきたのですが、ここでようやく『アリス』の「兎を追いかけて、穴へ飛び込む」が真の姿を現したことになります。

連れて行ってと懇願するアリス(本当は無言で訴えていた)、今は無理だが助けに戻ってくると約束する脱兎(本当はそうは言えなかった)、その二人のやりとりを横から追体験するアリスの母。遂に国境線を越えた脱兎が現の国の国境警備員に「安明進アンミョンジン」と名乗ったところで亡命時の回想は終わり、それから10年がたったことが語られます。アリスの母の求めに応じて脱兎が伝聞として語るアリスの拉致時の様子は、ドヴォルザーク『新世界より』第2楽章をBGMにほぼ無言で再現されました。友達と別れて家路を急ぐアリス、その前を紙が通るとアリスの姿は消えて教練通りに人を詰め込んだ袋が引きずられ、船に乗せられて船底に閉じ込められるさまがマイムと波の音や金属の軋む音で示されます。やがて、袋の中から顔を出したアリスの叫びはお母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん……

このアリスの言葉には、客席のすべての人々が心を揺さぶられただろうと思います。これを聞いたアリスの母は感情を昂らせることなくやっと届いた、あなたの谺。こんなに遅れてと語りながら、それでも私の愛は闇よりも深い。あなたが消えていったその闇よりも。だから、いつまでも声を出し続けるのよとアリスに呼び掛けましたが、この台詞を語る松たか子さんの目も涙で光っていました。そしてこの言葉に背中を押されるようにして、脱兎は自分の過去を清算するために赤いロープ=鉄条網で区切られた「妄想と現実の間にある平熱38度の国境線」を越えてアリスのもとへ戻ろうとしますが、そこに待ち構えるのは初音アイが用意した兎を38度撃ち殺すゲームアトラクション。ついに脱兎は力尽き、国境警備兵の手によって連れ出されてしまいます。

その姿を見送ったアリスの母は、安明進が2016年に行方不明になった(史実)ことを語ったものの、ここで客席の方を振り返って……もう誰も聞いていないのね。これが、見えない兎とアリスの現実のお話、まだ続いているのに、最後まで聞いてとお願いしたのに。松たか子さんのその言葉は、口調は穏やかなのに観客の胸に突き刺さるよう。そして脱兎が微笑みを浮かべながら上手に消えた後に、銃声が響きました。

妄想の国の物語はこのように語り手を失って幕を閉じ、舞台上が現の国になって、ホームズと元女優は遊びの園に別れを告げようとします。これから二人が向かう先は目に見えないメタバース、そこで暮らす二人の姿は手を取ることもできないアバターとなる予定ですが、元女優は『桜の園』のラネーフスカヤのように今去ろうとしている土地を名残惜しく眺めます。しかし、このとき元女優はかつて自分がママと見た(そして作家たちに書かせようとした)「アリスの話」のことを忘れてしまっており、一度は思い出そうと試みるものの、そんな気がするだけだろうと割り切ってその場を去っていきます。

塹壕の穴から顔を出したアリスの母が語り出す錠がおりている。みんな行ってしまったんだ……以下の少し長い独白は『桜の園』の締めくくりで屋敷内に取り残された老僕フィールスが語る言葉をほぼそのまま踏襲していますが、その台詞の中のあの子は白いコートを着ないまま行ってしまったは、アリスの母が登場したときの最初の独白に含まれる今朝は少し寒いよ、白いコートは着たの?に呼応しています。

こうしてこの戯曲の外枠を形作る「遊びの園」の物語も完結し、芝居はこれで終わるかと思えたとき、あの「どきっとした」という台詞と共にアリスの母は飛び起き、舞台上に横たわっていた脱兎を生き返らせ、その脱兎はアリスを導き入れました。迷子の娘が見つからないと訴えるアリスを慰め、自分の動悸は娘が呼んでいる声、その声が聞こえている限り必ず会えると励ますアリスの母にアリスがはい……おかあさんと答えたとき、アリスの母とアリスはとうとう抱擁できたのですが、彼らの姿を覆い隠す紙が下手から上手へと通り過ぎると、アリスは消えて抱擁のかたちの母だけがそこに立っています。そのアリスの母を見つめる脱兎が語りかけた言葉は冒頭の不条理の果てにある海峡を、兎が走って渡った以下の台詞の繰り返し。しかし、その最後の言葉はお返しに上がりましたからとうとう……お返しすることが……叶いませんでしたに変えられており、この言葉を脱兎が涙声で語り終えたとき、既に現の国から消し去られている彼の姿は紙の上に映る映像になって、深々と首こうべを垂れました。

前作「フェイクスピア」を観た後に整理したように、これまで野田秀樹はたびたび現代史の中のイベント(WW2にまつわるものが少なくありませんが、これに限られません)を芝居にしていますが、それでも今回のように現在進行形かつ政治的な事件(横田めぐみさん拉致事件)を題材として取り上げることには、かなりの勇気と慎重な準備が必要だったのではないかと推察します。そのために観る側の目線では不整合と思われる部分を残しての戯曲となったのだと思いますが、それでも今この芝居を発表したのは「この問題は現在も進行中なのに忘れられようとしていないか?」という問題意識が作家の中にあったのでしょう。

戯曲中には、随所に戯曲に明示されている底本『北朝鮮拉致工作員』(安明進著)からの引用が見られます。

  • 横田めぐみさんにまつわる話
    • 船倉に閉じ込められた彼女は「お母さん、お母さん」と泣き叫び、北朝鮮に到着時、出入口や壁などを引っ掻いたため爪が剥がれそうになるほど血まみれだった(劇中ではピノキオのエピソード)。
    • 拉致されてきた後に「朝鮮語を覚えたらお父さん、お母さんに会わせてあげる」と言われ一所懸命勉強したが、その希望は叶わなかった。
    • 工作員養成所において、彼女は日本語教師をさせられていた(劇中ではまず「お母さんになってほしい」という言葉で示唆され、後に明示的に「日本語を教える」というくだりが出てくる)。
  • 工作員養成所にまつわる話
    • 「最後まで生きようと努力せよ。しかし卑怯に変節して生きるくらいなら死を選べ」という訓示。
    • 入学に際し着てきた服、持参してきた両親や兄弟の写真すべてを提出させされる。

ただし、たとえば安明進が横田めぐみさんの両親と初めて会ったのは「亡命から10年後」ではないなど、必ずしも史実通りにこの芝居が構成されているわけではありません。

以下、この芝居を見ながら気づいた点をいくつか記してみます。

タイトル
なぜ主人公が兎なのかと言えば、日本では昔から兎は海を渡ろうとしてひどい目に遭うことになっている(因幡の白兎)からであって、劇中で表に出てくる『不思議の国のアリス』の引用はむしろ後付けで膨らませたもののように思えますし、そう考えたなら、いにしえのワニザメの姿が現代の工作船のイメージと重なってもきます。この推測の当否はともかく、この「兎」を織り込んだタイトル「兎、波を走る」は謡曲「竹生島」にも出てくる古い言い回しで、その意味は「月影が水面に映っているさまのたとえ。また、仏教の悟りにおいて、浅い段階にとどまっている人のたとえ」とされていますが、制作途中の時点のインタビューでの野田秀樹の言によれば、この芝居においてはそれら本来の意味は意識されていないようでした。したがってこのタイトルは、シンプルに冒頭の台詞にある不条理の果てにある海峡を、兎が走って渡ったを言い換えたものと考えてよさそう。本作で波を走る「兎」は脱兎(を含む工作員たち)のことですが、冒頭の台詞の中に出てくるあまた白い兎に変わったの「兎」は(舳先が兎に変わるという構文が不思議ですが)船の舳先が蹴散らす波濤が月に光る様子を写しているようでもあり、その意味では「月影が水面に映っているさま」に通じていると言えるかもしれません。
なお、個人的には「海峡を渡る」という言い回しから安西冬衛の一行詩てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行ったを思い出し、さらに別役実『空中ブランコのりのキキ』のラストでかなしそうになきながら、海の方へとんでいった白い大きな鳥すらも連想するのですが、ここまでくると妄想の翼の広げ過ぎのようです。
ブレヒト幕
ブレヒト幕による場面転換は「エッグ」や「フェイクスピア」でも効果的に使用された技法ですが、今回は人間一人を覆い隠す大きさの四角い紙が舞台を横切るたびに人が現れたり消えたり映像に変わる仕掛けが芝居をテンポよく進行させると共に、人をその場から消してしまうことくらい訳がないことをも示して徐々に背筋が凍ってきます。その最たるものが、ラストでアリスの母に抱かれたアリスが消えてしまう場面(まだ帰ってきていない)と、脱兎の姿を覆ってそこに深々と首を垂れる脱兎の映像が投影される場面(既にこの世にいない)でした。
言葉遊び
言葉遊びは野田秀樹が書く戯曲に必ず見られるもので、今回も「ゆうよ(言うよ)」→「猶予」、「現行犯」→「原稿用紙」、「穴倉」→「アナグラム」、「書くめえ」→「革命」、そしてアリスが脱兎に「聞く」べきところでいきなり「キック」して笑いを誘っていましたが、繰り返し強調されたのは「もう、そうするしかない」→「妄想するしかない」でした。この「妄想」にまつわる言葉遊びは、古くは夢の遊民社時代の「小指の思い出」(もう、そうするしかない一族)、「三代目、りちゃあど」(のぼっていけ、もうそうだけを)から近くはNODA・MAPの「MIWA」(もう、そうしよう)まで、野田秀樹が繰り返し使ってきた読替えです。
アナグラム
アナグラムが重要な役割を果たした戯曲として思い出すのは「逆鱗」で、この中では「NINGYO EAT A GEKIRINN」が「NINGEN GYORAI KAITEN」(人間魚雷 回天)に転換されました。本作ではアリスが穴倉での言葉を学ぶ過程でアナグラムが用いられ、この頃には本作の主題が北朝鮮による拉致の話であることが明らかなのですが、それにしてもなぜ「USAGI」を「USA-GI」にしたのかという点は理解することが困難です。というのも、この芝居の底本『北朝鮮拉致工作員』には著者が北緯38度線を越える際に米兵ではなく韓国軍兵士に偽装したと書かれているからです。
しかし考えてみると、チェーホフやブレヒトのような歴史上の人物を除けばこの芝居の中で出てくる実在の固有名詞は2016年に行方不明になって既に物故していると思われている「安明進」だけ。「北朝鮮」やその正式国名も一切出て来ず、後で出てくるハイジャック機は「どや号」、北緯38度線も「平熱38度線」で、そこにこの戯曲をあくまで「物語」にとどめようとする慎重な配慮が窺えます。こうした虚構性の維持のためにリアルな「韓国軍兵士」とはせず広く資本主義陣営を代表する「USA-GI」を採用したのだろうというのが私の推理ですが、この戯曲のタイトルにまで直結する部分だけにちょっと自信がありません。
AR / AI
「フェイクスピア」では作家シェイクスピアがフェイク=虚構と戦って飛行機から振り落とされましたが、本作では初音アイの脚本の書換えを果たせなかった智恵豊富とブレルヒトが「作家はもはや、昔々の作家が書いたものを知らず自動書記しているだけ」「新しいものなど書けないということか?」「歴史が作家に自動書記させているんだ」と虚無的な会話を交わし、そこにChatGPTに代表される生成AIに対抗しようとする人間の無力感を漂わせました。また「稼ぐなら仮想通貨、買うならメタバース、生きるならアバターで」とプレゼンする不動産業者ホームズは実はこの物語の中では唯一、アリスの世界に自らは踏み込まない現実主義者であると同時に元女優にプロポーズする生身の人間でもあるのですが、その彼が最後にアバターになっていて元女優と手を取り合うことができないことが示されたことにも恐怖を覚えました。
パンフレットの演者別インタビューの中で野田秀樹が今回は母と娘の話で、母は決して絶望的な言葉を吐かない。でもその“強靭さ”は等比級数的に進歩しているAIが取り残す問題です。AIには忘れる機能まで備わってきていて、AIの記憶量から重要じゃないと判断すると、忘れ切り捨てる。それが現実に置き忘れられる『母』という存在だったりすると答えているのも、本作にこの問題が取り込まれた背景を説明していそうですが、ただ、あまりにもステレオタイプな初音アイの造形や耳障りなその音声が作品世界に異物を持ち込んでいたことは間違いなく、そもそも果たしてあれは必要だったのか?と疑問を持った観客も少なくなかったはず。自分も終演直後はそのように感じたのですが、仮にAR / AIにまつわるエピソードをすべて取り払ったらどうなるかを想像しつつ戯曲を読み直してみると、おそらく拉致問題(だけ)に真正面から向き合うかなり生々しい話になってしまいそう。これは現在進行形の話だけに、芝居として成り立たせるためにはストーリーやテーマに何らかの複線化が必要だったのかもしれないと思いました。

以下、主要キャストについて。

高橋一生
「フェイクスピア」では身体能力の高さに注目されることが多かった彼ですが、本作では酷薄な工作員の顔からアリスの母と向き合う真摯な姿まで、多様な人格をそれぞれの場面で巧みに表現してみせた点が見どころでした。ことにほとんど同じ言葉で綴られる冒頭とラストのモノローグを、前者は力強い宣言として、後者は悔悟の涙と共に語りきったその対比を、圧倒される思いで聞きました。
松たか子
とにかくきれいな発声で、素晴らしく明瞭に言葉を届ける能力がこの芝居でも生かされました。たまに笑いのポイントとして「お前、本当の事言えよ」「酔ってねえよ」といった男言葉が出てきても品を損なわず、ピカソの長大な本名を早口言葉のようにまくし立てても1音1音があくまでクリア。後半はシリアスな場面が多いのに、アリスの母の心情を最後まで昂りを伴わずに語り続けたことで、そこに希望が失われていないことを身をもって示していました。
多部未華子
舞台俳優としての多部未華子さんは初めて見ましたが、アリスの大きなブルーのリボンがこれほど似合う女優さんは他にいないかもしれません。その彼女はアリスの母とは逆に感情の起伏を示すことが多い役柄を演じ切りましたが、とりわけ拉致された日のことを再現する場面で繰り返される「お母さん」の連呼の一語ごとに異なるニュアンスがこめられていたことに感情を揺さぶられ、そして脱兎の亡命の場面で風のように舞台に駆け込んで穴に飛び込んだ姿は鮮烈で胸を突かれました。
秋山菜津子・大倉孝二
秋山菜津子さんは、もうさすがとしかいいようがありません。本作では没落地主にして元役者という役柄ですが、野田作品らしいユーモアと舞台女優の貫禄とを併せ持って、どんな役を演じても当て書き?と思わせせる達者ぶりはここでも健在です。
大倉孝二も相変わらずの存在感。ことにアドリブの部分に様々な冴えを見せて、この芝居の「陽」の部分を担った感があります。上述したいくつかのアドリブに加え、妄想の国に一人で紛れ込み杖を突きながら舞台後方をおどおどと横断する場面では、雷鳴に怯え杖を指して「雷ここに落ちそう!」とびびったり、端まで歩いてエコーが効かなくなって「このへんあんまり響かない……」と素の口調になったり(いずれも戯曲にはない台詞)。それでいて、退場する直前の野田秀樹とのごく短い虚無的な対話だけで、智恵豊富の人間像に思いもよらぬ深みをもたらしてみせました。
大鶴佐助・山崎一
大鶴佐助もある種、怪演と言っていいかもしれません。特に最初に登場した場面でCM風にシャイロック・ホームズ〜!と歌いながら側転した上で舞台上に飛び込み、その身体が舞台奥から前方へほとんど客席にはみ出さんばかりに滑り出てきたときには、最前列中央の観客は彼がそのまま自分のところへ落ちてくるのではないかと恐怖に駆られたはず。昨年の「パンドラの鐘」で野田秀樹の目に留まり、本作で成果を出してみせたことで今後ますますの活躍が期待されます。
山崎一は現の国では刑事とアバター、妄想の国では教官という一見すると地味な役柄でしたが、上述した通りアリスに絶望を与える場面では目が釘付けになりました。
野田秀樹
作家という役柄であることもありますが、これまでの作品と比べると飛んだり跳ねたりを控えていた上に、金属質のキンキンとした発声を抑えていた印象があります。あるいはその音域を初音アイが占めることとのバランスをとったのかも?ともあれ、1955年生まれで現在67歳の野田秀樹が役者としての自分をこれからどの方向に持って行こうとするのかは、気になるところです。

アンサンブルの中では、柳に風と受け長ズボン副教官を演じた森田真和が上記のメンバーに準じる役割を果たしていましたが、彼は野田秀樹が立ち上げた東京演劇道場に参加し、そのメンバー4チームで2020年夏に上演された「赤鬼」において2チームでタイトルロールを演じた役者です。もしかすると、今後どこかで(アンサンブルではない)彼の芝居を観ることがあるのかもしれません。

最後に、小ネタを含む備忘。

  • 脱兎の「脱」は脱北の「脱」。2011年のNODA・MAP「南へ」も脱北者を扱っていましたが、今回の「兎、波を走る」ほど赤裸々ではありませんでした。
  • 元女優ヤネフスマヤの本名は屋根襖屋鍛治子。この名前はチェーホフの『桜の園』の女地主ラネーフスカヤと『かもめ』の大女優アルカージナからとられたもの。
  • 遊園地が競売に掛けられる「11月15日」は、横田めぐみさんが拉致された日(1977年11月15日)に基づく。
  • アリスの失踪に兎たちが関わっていることを知ったアリスの母に詰め寄られた脱兎は、苦し紛れにアリスがトー横(新宿東宝ビル周辺の路地裏の通称)で夜遊びしていると告げ、その仲間の髪の長い子の名はラプンツェルだと言う。グリム童話の『ラプンツェル』で主人公の名前の由来となった野菜は「ちしゃ」と訳されることがあり、『不思議の国のアリス』のチェシャ猫と音が通じます。
  • 元女優とホームズとが眺めるテレビは数回のザッピングの後に成田闘争らしき映像を映し出しますが、その前にアニメ『あしたのジョー』の丹下段平が一瞬映ります。丹下段平と言えばドヤ街、そして「どや顔」で北朝鮮に亡命したよど号事件(1970年)の犯人たちの声明は「われわれは明日のジョーである」。
  • アリスがネバーランドに連れてこられたときに呼び掛けられたという二つ目を右に曲がったら、そのまま朝までまっすぐも、ピーターパン(たち)には母親がいないばかりか母親をほしいと思ったことがないのも、『ピーター・パン』の設定通り。つまり「親なんているもんか!」は不在と不要のダブルミーニング。
  • 新空港建設に反対して座り込みをしたところで、やがてその頭上を軽々と飛行機が飛んで行く不条理を自分は知っているとうそぶく智恵豊富に対し、ブレルヒトがツッコミを入れてなぜか大倉孝二と野田秀樹の飛翔比べが始まりましたが、ここはお互いにアドリブ。大倉孝二の飛翔もどきを「しょうもな!」と切り捨てた野田秀樹は「ここらへん(客席最前列)の人を中心に」と一言断って舞台最前面にあぐらをかき、力をこめて一瞬の空中浮遊を見せたものの、あまりに情けない浮遊ぶりに大倉孝二から「表現者としてそれでいいのか!」と叱責されて客席は大爆笑となりました。
  • アリスの母が穴倉の中で酒を飲んで大きくなる場面で揺れて叫ぶ「ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」は、もちろん詩人・中原中也の代表作「サーカス」からの引用。その大きくなったアリスの母が劇場破壊の強制執行を阻むために両腕を振る場面でのその腕の形は、建物の内外や立場が逆転しているものの、あさま山荘事件(1972年)の鉄球クレーンを思わせます。
  • 駆け寄った母の手をするりと抜けてしまうアリスの姿は、人買いにさらわれた我が子を探し求めて都から東国へと旅を続けた母が隅田川の畔で我が子の亡霊と出会うという内容の謡曲「隅田川(角田川)」のクライマックスそのまま。
  • 随所にアドリブや小芝居を入れていた大倉孝二の最大のアドリブは、妄想の国に引き寄せられた智恵豊富が現うつつの国に戻ってホームズにその不条理な夢を語る場面。創作の荒野を歩いていたと思ったら裸の女たちが現れて酒池肉林……というのは戯曲通りですが、超ハイテンションで「君たちはどこから裸で来たの?1km?遠い!」と勝手に女たちとの会話を作ったあげく「のぼせちゃった」とふらついて、これを間近で聞かされた大鶴佐助は「ワケわからない……」と必死に笑いをこらえる羽目に陥っていていました。
  • 何かと言うと「首を切れ」と命じるハートの女王の性格は、某国国家元首を連想させます。
  • 元女優らが妄想の国へ拉致された後にホームズと初音アイとの間でAR談義が交わされ、その一例として機動隊員たちが座り込みをする人々に見立てられた紙を散々に叩き潰す場面が出てきます。この芝居の本筋とはあまり関係がないエピソードですが、紙が相手だけにためらいのないその暴力表現はショッキングなくらいでした。
  • チュチェ猫の名前の「チュチェ」とは北朝鮮の政治思想の根幹をなす「主体思想주체사상」に由来する、極めて政治的なネーミング。このチュチェ猫が登場する場面とハートの女王のパレードの場面の2カ所で壮大なアレンジの曲が演奏されますが、その旋律は北朝鮮国歌(愛国歌)のもの。戯曲には後者の場面で歌詞も書かれていますが、その歌詞も微妙に言葉を置き換えてはあるものの、相当程度忠実に原曲の歌詞(朝は輝けこの山河……)を引用しています。
  • コーカサスの白墨の輪』が途中で引用されますが、私が見た2005年の舞台で主人公グルシャ・ヴァシャナゼ(育ての母)を演じたのも松たか子さん。
  • 平熱38度の国境線を越えようとして果たせない脱兎の姿を描く場面で、背後に流れるBGMは北朝鮮歌謡「イムジン河」。続く脱兎の妄想の大地から 現の空へ 飛びゆく鳥よ 自由の使者よ……という台詞もこの歌の歌詞(北の大地から南の空へ)をアレンジしたもの。
  • 脱兎が上手袖に連れ去られた後に銃声が響き、智恵豊富がその音を「なんだろう」と訝しむ場面は、チェーホフ『かもめ』の最後にトレープレフが隣室に入って拳銃自殺する場面と通底しているのかもしれない。
  • 芝居の終盤で、アリスの母とアリスの口から何度か「ドキッとした!」という言葉が発せられます。最初は脱兎がアリスの子供を穴に落としたとき、次に脱兎が工作員の役目を明かそうとして連行される場面、さらにアリスが現実に絶望して「助けてください!」と叫ぶ場面、そして最後に『桜の園』の物語が終わって終演かと思われたとき。これらはアリスの母が昔々、私とあなたは、へその緒さながら、心臓の鼓動でつながっていたと語りながらアリスを探す場面を経て、ラストシーンの直前でアリスの母が心臓の鼓動は娘が母を呼ぶ声だとアリスに語り掛けるくだりへとつながるのでその意味は鮮明ですが、舞台上の空気を一変させるほどに強い口調で語られるこれらの言葉に何かの典拠やそこから移植される文脈があるかどうかはわかりませんでした。

見立てによって観客の想像力をどこまでも広げるシンプルな舞台装置(美術:堀尾幸男)や小道具の使い方は相変わらず見事でしたが、今回はこれらとは対照的に『アリス』の世界観を具象化する人形(沢則行)が遊園地的にゴージャスで素敵。

また音楽(原摩利彦)がすばらしく、ことに松たか子さんのヴォカリーズとホルン、ストリングスを用いてラストシーンに流れる「Vocalise」から「Elegy」への一連の楽曲は、役者の台詞に寄り添いながら、この芝居はここで締めくくられるけれども物語自体はどこまでも続くというメッセージを感じさせました。

ただし最後に一つだけ文句をつけると、パンフレットの色遣いはちょっとひどい。前半の出演者インタビューや中ほどの対談記事の一部でページの地色と活字の色の組合せがマッチしておらず、読みにくいことこの上ありません。もちろんプロの仕事のはずなので、自分の色覚が一般と異なるのか?とか、あえて読みにくくすることに何か深い意図が隠されているのか?と悩んだくらいです。

配役

パンフレットの役名 戯曲に書かれた役名 演者
脱兎 高橋一生
アリスの母 松たか子
アリス 多部未華子
元女優ヤネフスマヤ 秋山菜津子
第一の作家? 智恵豊富 大倉孝二
シャイロック・ホームズ 大鶴佐助
東急半ズボン教官
第三の作家?
東急半ズボン教官 山崎一
第二の作家? ブレルヒト 野田秀樹

「戯曲」は『新潮 2023年8月号』(同年7月7日発売)に掲載されたもの。そこまで「第一の作家?」といった役名になっていたのはネタバレ回避のためらしいということが、パンフレットの大倉孝二のインタビューの中に書かれていました。