経政 / 佐渡狐 / 定家 / 邯鄲
2026/01/17
国立能楽堂(千駄ヶ谷)で金春流能楽師・山井綱雄師主宰、第20回記念「山井綱雄之會」。この会は2015年の第10回と2020年の第15回、2023年の第18回を拝見していますが、今回は第20回という節目の公演です。

13時開演。冒頭の「解説」を行ったのは山井綱雄師自身で、まずは「山井綱雄之會」のあゆみの振返りです。曰く、第1回から第10回までは人間国宝の先生方を相手に真剣勝負をさせていただき、第11回からは他流競演や新作能など自由に好きなことをやってきた。そして今回の第20回は後継者たちの活躍の場とした、という説明を置いてから、続いてこの日の演目のあらすじとワンポイントコメントに入りました。
- 経政
- 小品の佳作。自分も小学生のときにこの曲で初舞台を踏み、そのときに能楽師になると心に決めた。今日は、そのときに大小を勤めた安福光雄・鵜澤洋太郎の両師に無理を言って「定家」だけでなくこの「経政」にもつきあってもらうことにした。
- 定家
- 「準老女物」とされる大曲にして難曲。その上演が後に控えているのにのこのこと解説に出てきたことを若干後悔している。式子内親王と藤原定家との「ロミオとジュリエット」のような話だが、ロミジュリは死んだらおしまいなのに対し、能楽は死んでからが勝負(客席から笑い)。普通は還暦を過ぎてから取り組む曲だが、この若さ(52歳)で演じさせていただくことをありがたく思う。
- 邯鄲
- これも大曲。特に最後の大胆な飛び込みが金春流の「邯鄲」の真骨頂で、シテを勤める弟子の村岡聖美は「怪我をしないようにがんばります」と言っていた。
こんな内容の15分間の「解説」を終えて山井綱雄師が下がってから、いよいよ本番開始です。この日は能三番狂言一番で18時35分までの長丁場になる予定です。
経政
仕舞では何度か観ている「経政」(観世流と金剛流では「経正」)ですが、通して観るのはこれが初めて。主人公は平清盛の甥にして歌人であり琵琶の名手でもあった平経正(一ノ谷の合戦で弟の敦盛と共に討死)であり、また、この曲の中で重要なモチーフである琵琶「青山」は、稚児として幼少時を過ごした仁和寺で覚性入道親王の寵愛を得た経正が下賜され、後に平家都落ちに際して仁和寺に駆けつけ返上したもの(『平家物語』巻第七「経正都落」)です。
裃を着用した囃子方と地謡が舞台上に揃って、しみじみとした名ノリ笛と共に登場したワキ/僧都行慶(舘田善博師)は大口僧出立に掛絡。この仁和寺にて幼少時を過ごし一の谷の合戦で討たれた平経政のために法事を行うことを手際よく説明してから脇座の床几に着座し、さらに言葉を継いで経政が弔われることのありがたさを謡います。ついで地謡が琵琶の名器・青山を手向ける旨を謡う内に揚幕が上がり、典型的な負修羅出立のシテ/平経政の霊(山井綱大師)が姿を現して、地謡に重なる寂しげな笛を聞きながら舞台まで進んできました。この笛の旋律はまさに青山の調べであり、ふと気づくと琵琶に誘われた経政の姿が灯火の傍に浮かび上がってあら面白の、琵琶の音や
と聞き入っているという風情になります。
いきなり脱線しますが、実はここまでの情景描写が予習と違うことに戸惑いつつワキの謡を聴いていました。と言うのも、事前にネット上で参照した詞章(上掛リ系?)では行慶が奏者を集めて賑やかに管弦講を開こうとしているところへ経政が姿を現していた(よって後の方で楽師たちが管弦による回向を行う場面が存在する)のですが、この日配布された詞章の雰囲気は、一連の法事を終えた後に行慶が一人で琵琶を手に弔いを行っているところへ経政がそっと声を掛けている感じ。そうであるなら、この深夜の仁和寺にいるのは行慶と経政の幼馴染同士[1]二人きりという物寂しい設定だということになりそうです。〔教訓〕予習するならちゃんと流儀の謡本を買いましょう。
それはともかく、予習詞章にはないあら面白の
から始まるシテ謡はこの日の詞章の聞かせどころになっていて、綱大師は若々しい高音域の中にもたいへん美しい旋律を聞かせました。以下、シテとワキとの掛合いは経政の姿が薄ぼんやりとして行慶の目に捉えきれないもどかしさを示し、やがてシテが足拍子を踏み中央に着座してワキを向いてもワキにはシテの姿は見えず声が聞こえているばかり。そんな状況の中で、シテの心は生前に弾じた青山の音色に導かれ、若き公達として親しんだ花鳥風月詩歌管弦の思い出に及びますが、この回想を地謡がじっくりと謡う間シテは正中に着座して微動だにせず、その居姿の安定感に引き込まれました。
やがて雅楽「夜半楽」にふさわしい時刻となり、ワキが手向けの琵琶を奏していると俄かに降りくる雨の音。しかしシテは立ち上がり、角に走り寄っていや雨にてはなかりけり
と雙ヶ岡の松の葉が風に吹き落とされ音を立てている様子をワキに示しますが、ここからのシテは終曲まで大きな型の連続でひたすら舞い続けます。実景の松の葉の音が経政の心象の中の琵琶の四弦にシンクロ[2]するクセの前半から、上ゲ端を挟んで昔を思い返し舞の袖を翻す後半まで、扇をさまざまに使い足拍子を踏みながら流れるように舞台上を巡るシテ。左袖で面を覆ってあら名残惜しの夜遊や
と栄華の記憶に浸るうちに沸々と湧き上がるものが生じ、高揚した囃子方に押し出されるようにカケリを見せると強い足拍子の繰返し。それまでの詩歌管弦に親しむ公達から一転して修羅道の闘争に身を投じる武将の姿に変わり、キリに入ると太刀を抜き扇を楯になして戦い続けましたが、遂に膝をついて太刀を手放し床の上を滑らせ、苦しむ姿を見られることを恥じて扇で面を隠した後、最後は一気に正先に出て扇面を水平に前へ差し出した扇を上下させ灯火を吹き消す形を示してから、常座で留拍子を踏みました。
成仏させてほしいという切実な願い(執心)があるわけではなく、懐かしい琵琶の音色に誘われて出て参りましたというある意味のどかな主人公が、カケリ以降は一転してものすごい運動量を駆使しての修羅の表現へと振幅の大きさを見せてびっくり。とある解説[3]には一曲を通じて王朝・貴族文化の優美な雰囲気が流れています
と書かれていましたが、かなり印象が違って思い切り修羅能でした。そうした「経政」を演じた綱大師は、上述のように謡の旋律感が音楽的で美しく、また流れるような舞に見応えがありました。もちろん今後、発声はさらに力強さを増していくでしょうし、一貫した背筋の伸び具合が作られてもいくでしょうけれど、そうした今後の変化こそがこれから楽しみです。
佐渡狐
この狂言は昨年12月に観たばかり。前回は大蔵流、今回は和泉流ですが、大筋は変わりません。それでも、佐渡に狐がいるかいないかという話題が登場するきっかけとしての「越後からの佐渡蔑視」がよりはっきり感じられたり、奏者と佐渡の百姓の連携プレーを阻止しようとする越後の百姓の奮闘ぶりが大仰になっていたり、最後に出てくる狐の鳴き声もどきも大蔵流の鶏(東天紅〜)に対し和泉流では鶯(月星日〜)と違いが見出せて、これまた楽しく拝見しました。

ここで20分間の休憩をはさんでから、いよいよこの日のメインイベントである山井綱雄師の「定家」です。なおロビーにはいくつかの出店がありましたが、いつもの能楽書林に加えて白瀧呉服店は山井綱雄師の大学での同級生つながり、宇治茶の森半は小中学校の同級生つながりなのだそう。どれだけ人脈が広いのか……。
定家
2009年に観世流、2010年と2024年に金剛流で観ていますが、金春流は初めて。藤原定家に傾倒した金春禅竹が随所に和歌の引用や自作の和歌をちりばめて緻密に組み上げたこの曲は、冒頭の綱雄師の解説にあったように「準老女物」として大切に扱われているそうです。なお、この点に関して金春安明師が昨年上梓した『金春の能 中 近世を潤す』には次の記述がありました[4]。
今日、《定家》と言うと《卒都婆小町》に次ぐ特別重習として大切に扱われていますが、文化文政時代の型附などを見ますと、特別に重く扱う能(重習物)は《関寺小町》《道成寺》《角田川》の三番で(中略)このことから、時代により、並の曲目と大切に扱う曲目に差異があることがわかります。
ともあれ、これまで拝見した「定家」のシテは関根祥六師、金剛永謹師小書《墓ノ囃子》、再び金剛永謹師小書《袖神楽・六道・埋留》と重量級で、このことからも綱雄師の「定家」がいかに意欲的な取組みであるかがわかります。ただ、流儀は違えど四度目の鑑賞なので、ここではこの日の舞台進行を逐一記述することはせず、拝見していて心に残った点を箇条書き(時系列)にて書き留めることにします。
- 物悲しい旋律の短い笛の独奏からヒシギを経ての次第の囃子。大小の鼓は「経政」に次ぐ連投ですが、実は地謡も相当数が連投、ワキも連投、アイも「佐渡狐」からの連投。ご苦労さまです。そして次第
山より出づる北時雨、ゆくえや定めなかるらん
に続く地取(地頭は高橋忍師)がことに密やか。花の都とは言っても旧十月の千本あたりのうら寂しい空気感が漂います。 - 降り始めた時雨を避けようと向きを変えたワキの背中に鏡ノ間から遠く声を掛けた前シテの装束は紅白段替わりの唐織で、細かい文様をちりばめながらとても上品。そして面はたぶん増女だと思いますが、現代の審美眼で見ても息を呑むほどの美人です。
- 互いに説得力のある風情豊かな謡でのワキとシテとの問答の中に、先ほどの「経政」で行慶が語った「一樹の陰」「一河の流れ」という語を再び織り込んでからのワキ
心を知れと
に続くシテ折からに
が半ばかすれるほどに高い音程で聴く者の心に染み入ると、地謡も情感をこめて謡うげに、さだめなや定家の、軒端の夕時雨。ふるきに帰る涙かな
に同期するシテのシオリの所作が実に精妙。客席では配布された詞章を目で追っている人が少なくありませんでしたが、この場面を始めとして、今回の「定家」では目を舞台上に集中させないのは本当にもったいないと思いました。 - ワキを石塔の前に案内したシテは式子内親王と藤原定家の故事を説明しますが、定家の執心が葛となるくだりの頃から語尾にかすかに裏声のような高音が交えられて空気が変わり始め、
ともに邪淫の妄執を
からは語りに重みが加わって人格が式子内親王その人にはっきりと切り替わっていました。この声色のグラデーションはすごい。 - 中央に着座しての居クセは式子内親王が定家とのつらい恋を思い出す場面ですが、地謡が
賀茂の斎宮の宮にしも
以下を高音域で美しく謡う間、シテは曇らせ気味にしていた面をごくゆっくりと上げて悲しき
でシオリ。そこからかすかに目付方向を見やる形になったものの雲の通い路たえ果て
たために面を伏せてしまいます。ここもまた、一つ一つの所作が詞章と連動していて舞台上から目を離せませんでした。 - クセの最後で
妄執を助け給えや
と合掌したシテが正体を明かして石塔の中へ消えた後、アイによる朗々たるアイ語りの間、作リ物の後ろでは主後見の金春安明師が鏡板の前にどっかとすわり、本田芳樹師のサポートを受けた横山紳一師がてきぱきとシテの面・装束を替えていく様子が窺えました。 - ワキとワキツレが弔いの謡の声を合わせ、あの世から式子内親王を呼び出す印象的な一声の囃子があって、作リ物から
夢かとよ
と後シテの謡い出し。しばらくワキとシテとの掛合いの謡になりますが、その最後のワキ朝の雲
シテ夕べの雨と
の節回し(音程の上がり具合、声のかすれ具合)がなんとも特徴的で、もしかするとこれは前場に出てきたワキ心を知れと
シテ折からに
のやりとりがなぞられていたかもしれません。 - 引廻しが下ろされてあらわになった後シテの姿は、籠に薄と蔦草の文様をうっすらと見せる白い長絹に紫の大口で、面はおそらく痩女。気品のある姿ではあっても、頬がこけ口をへの字に緩く結んでやつれ果てた表情の痛ましさにはショックを受けてしまいました。
- 地謡
その舞姫の小忌衣
の後に、尺八とまごうばかりに低く枯れた笛の音から入る短い囃子が演奏されてから、おもな舞の
ありさまやな
と謡われて序ノ舞が始まりましたが、先ほどの痛ましさが消えてなくなるほど美しいその舞姿にすっかり見惚れてしまい、メモをとる手が止まりました。出だしはどこまでも静謐、そして段を重ねるごとに扇や袖を翻しながら情趣を高めていくシテの姿は確かに高貴な、しかしこの物語世界の中では不幸な恋に苦しんだ式子内親王その人で、見ているうちにこみ上げてくるものを感じました。 - 序ノ舞を牽引する笛の旋律にも、レガートな中にところどころでふっと短い拍と休符が入る特徴的なモチーフが繰り返され、笛はリズム楽器でもあり得るということを気づかせてくれます。
- 序ノ舞を終えて我が身を恥じたシテは、ワキに向かって扇で面を隠す型を示した後、いったん作リ物に正面から入ってから正面から見て左から出て、作リ物の前を通過すると今度は右から再び作リ物に入り、その後にシテの右前にある葛の絡んだ柱を両腕で抱きしめる特徴的な型を見せました。そしてシテは、そのやや右向きの姿のまま膝をつき左手の扇で面を隠した形で
失せにけり
となり、さらにしばらく演奏される囃子を聞き終えて余韻深く終曲を迎えました。
およそ2時間の上演時間を通してひとときも緩むことなく、謡・舞・囃子を重ね合わせて一曲を演じきった舞台上のすべての演者の共同作業の見事さに、まずもって感嘆しました。また、上記のように詞章に沿って随所に示された精緻な技巧も見応え聞き応えがありましたが、なんと言っても序ノ舞の素晴らしさが特筆されます。およそ20分弱続いた序ノ舞からは片時も目を離すことができませんでしたが、見所全体がそうした緊迫感を共有できていたと思われることが、この舞台をさらにかけがえのないものにしていました。
さて「定家」と言えばどうしても、最後の「定家葛に埋もれゆく式子内親王」をどう理解するかという問いに行き当たります。比較的よく見る解釈は、式子内親王は一度は定家葛の軛から逃れて報恩の舞を舞ったものの、自身の舞姿の醜さを恥じ、結局は定家の執心と共にあることを選んで石塔の中に戻って行った(よって成仏できなかった)といういわば悲劇的な理解ですが、いや、そうではなくて定家との愛の成就こそが悟りなのだという見解もあれば、法華経の功徳により定家も式子内親王も共に成仏に至ったのであるという見解もあって一筋縄ではありません(詳しくは〔こちら〕参照)。
では山井綱雄師自身はどういう気持ちで舞ったのか……というのはご本人が明かさない限り分かりようがありませんが、最後に作リ物の中で葛の絡む柱を抱きしめた型がキリの詞章の中ではかたちは埋もれて
のあたりなので、これは式子内親王が葛と化した定家(の執心)と一体になることを選んだ表現のように思われます。
自分としても、あの型がもしも式子内親王自身感じている至福を示していたのであれば、たとえ法華経の加護にすがることができなくてもそれでもよかったのかなと思うのですが、考えてみるとこの発想は、現代の恋愛ドラマの価値観に引きずられている気がしなくもありません。果たして本当のところ(金春禅竹の作意)はどうだったのでしょう。
この日二回目の休憩も20分間と短いものでしたが、コーヒーでも飲むかと「お食事処 ひまわり」に入ったところ、店員さんが「お腹空いてませんか〜?」と愛想良く声を掛けてきました。この日は「綱雄御膳 親子編 3,000円也」が提供されていたのですが、聞けばこの時点であと四食が残っているとのこと。実は先ほどの休憩時に(「定家」の途中で眠くなってはいけないので)軽めの昼食としてカレーライスを食べていたのですが、いいでしょう、ここは一肌脱ぎましょう。
謎の「綱雄御膳」の正体はサーモンいくら丼・ボネ(チョコレートプリン)とサービスのコーヒーまたは紅茶で、おまけとして山井師親子のサイン入りブロマイドがついています。そう言えばこの公演の冒頭の解説で山井師が「親子で一所懸命サインしたので捨てないでください」とおっしゃっていたのはこれだったかと合点しました。確かにもらっても困る(笑)ものではありますが、せっかくなので大事に持ち帰らせていただきます。なおブロマイドはもちろん近影で、さらにこれを入れた袋には綱大師が初舞台を踏んだ第3回「山井綱雄之會」のときの写真も貼られていました。これを見れば、17年という時の経過が男の面構えをいかに変えるかということが如実にわかります。
邯鄲
「邯鄲」はこれまで2013年(観世流)・2014年(金春流)・2018年(喜多流)・2019年(同)と観ていてこれが五回目の鑑賞です。したがって舞台進行は過去の記録にさんざん書いているので、この曲についても箇条書きスタイル(内容は順不同)で記録を残すことにします。
- まず特筆すべきは、女性能楽師の育成に積極的な金春流らしい舞台上の女性比率の高さです。シテは村岡聖美師、地謡は柏崎真由子師を地頭に六人全員女性、そして(金春流ではありませんが)小鼓も大山容子師です。村岡聖美師に関しては2023年の「山井綱雄之會」で「道成寺」を拝見していますし、大山容子師の小鼓も何度も体験して自分の中では男性能楽師と区別するところがないのですが、地謡が全員女性というのは初体験。この点については後述します。
- 狂言口開からシテの登場があって次第
浮世の旅に迷い来て、夢路をいつと定めん
。この台詞の通り、冒頭のシテの謡は人生に迷い旅にさすらう若者の煩悶を体現して、つかみはOK。しかもこの後、夢の中で楚国の帝となる第二段での力ある謡への変化がさらにすばらしく、ここでの舞台上が五十年の栄耀栄華を体現する宮中であることに説得力をもたらしました。 - 型に関しては、狭い一畳台の上でぎりぎりに舞う長い楽(照明の位置との関係でシテの向きが変わるたびに面が照らされたり暗くなったりするのがこれまたドラマチック)からの一瞬の空下リが最初の「手に汗ポイント」ですが、はっと左足を落としかけて右足で耐え、片足スクワットの要領で伸び上がって左足を高く上げた姿勢のままの静止が驚くほど長く、心の中で喝采を送りました。
- さらに、一畳台の狭さから解き放たれて舞台上を自在に舞う場面の開放感と安定感が見ていて気持ちよく、登場時には小柄だと思ったシテの姿がいつの間にか大きく見えるようになっていたほど。さらに楽が終わった後も、囃子方の音圧に負けない謡を聞かせながら、野球のアンダースローのような動きで一瞬の内に袖を巻いたりきっぱり解いたり足拍子を轟かせたりと、胸のすくような型が重ねられました。
- ところでこの曲を観るたびに思うことですが、この「邯鄲」は演劇としての仕掛けの完成度が異常に高く、扇の二打ちをトリガーとして二回訪れる場面転換の鮮やかさや、各場面での演者・装置の必然性とその出し入れの手際良さには舌を巻きます。この日の舞台ももちろん例外ではなく、洗練された演出の妙を堪能することができました。中でも子方は6歳くらい(?)のかわいい女の子でしたが、舞も謡も文句なしにしっかりしていたと思います。
- そしてクライマックスはシテの夢が覚めようとする場面。まるでSF映画のように時間の進行がどんどん加速していく様子が謡われ、その行き着く果てに子方・ワキツレ一行が立ち上がって切戸口に向かい(ここはもう少し足を速めた方がよかったかな)、シテは橋掛リの二ノ松あたりまで移動し(この間に一畳台の後ろに控えている後見は枕を台の上に置くと共に安座の姿勢のまま膝で台を押さえ)、囃子が最高潮に達すると共に舞台へ走り込むと一畳台の間際で左袖を巻き上げ宙に跳んで、一畳台上に見事な横臥の姿勢で落ちました。
- この場面では、本当に助走からノンストップで飛び込む演出もあるそうですが、私がこれまで見たのは観世流が台の上に飛び乗ってから倒れるように横臥、喜多流が台の前で足拍子を踏んでから跳躍、そして金春流の山井綱雄師がこの日と同じく立ち止まって袖を巻いてからの跳躍です。
- いずれにしても、普通に倒れ込む動作だけでも怖い上に、あの装束を身にまとい面により視界が限られた状態で宙に跳び台上に落ちるのですから、並大抵の覚悟ではできそうにありません。おそらく「邯鄲」を初めて観た観客は、この大技に強い衝撃を受けたことでしょう。私の周りでも驚きのあまり息を飲む声がたくさん聞かれました。
- 完全な静寂の中にアイによる扇の二打ちが響いて、シテの謡は打って変わって悟りの境地。最後に一畳台上の枕に
げに有難や
と一礼し、常座で留拍子が踏まれました。
こんな具合にこの「邯鄲」は、シテの活躍が際立ってとても満足度の高い舞台だったのですが、最初に言及した女性だけの地謡という自分にとっての初体験は、いろいろ考えさせるものがありました。
門外漢が軽々しいことを言ってはいけないのですが、純粋に「身体という楽器」の機能の面から見た場合、平均的な男女間に音量・音域の違い(バイオリンとコントラバスのような)があることは紛れもない事実ですから、音楽劇としての能の各演目が想定している最適音域と女声(特に合唱)との親和性という問題は、避けて通れないことのように思います。この点に関しては能楽師よりも観客の方が保守的なのかもしれませんが、少なくともこの日の舞台でも次第の地取は聞いていてちょっと厳しかったですし、地謡の旋律の中で音程間のポルタメントが耳についたのもあるいは音域の高さに由来したのかもしれません。
そんな感想を持ちながら「邯鄲」を聴いていたのですが、もしかすると将来、女声の特性を生かす能の演目(新作)や演出法、あるいは新たな発声法が開発されることになればこうした無粋な感想は生じる余地がなくなるのかもしれませんし、それにそうした日の到来を待つまでもなく、シテが一畳台に飛び込むクライマックスの場面でフルパワーの囃子に対し六人で真っ向勝負(?)した今日の地謡陣には、やはり賛辞を送りたいと思います。
なお、終演時に謡われたのは「海人」より仏法繁盛の霊地となるも この孝養と承る
。追善能で附祝言に代わる「追加」として謡われることがある謡です。この日の公演はどなたかの追善能とはなっていませんが、昨年11月に山井綱雄師の恩師であった富山禮子師が亡くなられており、綱雄師は自身のブログに今日の公演を恩師富山禮子先生に捧げる舞台にしたいと思います
と記していましたから、あるいはこのことを踏まえた選曲だったでしょうか。
配役
| 能金春流 | 経政 | シテ/平経政の霊 | : | 山井綱大 |
| ワキ/僧都行慶 | : | 舘田善博 | ||
| 笛 | : | 松田弘之 | ||
| 小鼓 | : | 鵜澤洋太郎 | ||
| 大鼓 | : | 安福光雄 | ||
| 主後見 | : | 本田光洋 | ||
| 地頭 | : | 本田芳樹 | ||
| 狂言和泉流 | 佐渡狐 | シテ/佐渡の百姓 | : | 三宅右矩 |
| アド/越後の百姓 | : | 三宅近成 | ||
| アド/奏者 | : | 前田晃一 | ||
| 能金春流 | 定家 | 前シテ/里女 | : | 山井綱雄 |
| 後シテ/式子内親王の亡霊 | ||||
| ワキ/旅僧 | : | 舘田善博 | ||
| ワキツレ/従僧 | : | 大日方寛 | ||
| ワキツレ/従僧 | : | 渡部葵 | ||
| アイ/所の者 | : | 三宅右矩 | ||
| 笛 | : | 松田弘之 | ||
| 小鼓 | : | 鵜澤洋太郎 | ||
| 大鼓 | : | 安福光雄 | ||
| 主後見 | : | 金春安明 | ||
| 地頭 | : | 高橋忍 | ||
| 能金春流 | 邯鄲 | シテ/盧生 | : | 村岡聖美 |
| 子方/舞人 | : | 垣澤さくや | ||
| ワキ/勅使 | : | 野口能弘 | ||
| ワキツレ/大臣 | : | 野口琢弘 | ||
| ワキツレ/大臣 | : | 梅村昌功 | ||
| ワキツレ/大臣 | : | 小林克都 | ||
| ワキツレ/輿舁 | : | 大日方寛 | ||
| ワキツレ/輿舁 | : | 渡部葵 | ||
| アイ/女主人 | : | 高澤祐介 | ||
| 笛 | : | 藤田貴寛 | ||
| 小鼓 | : | 大山容子 | ||
| 大鼓 | : | 亀井洋佑 | ||
| 太鼓 | : | 吉谷潔 | ||
| 主後見 | : | 山中一馬 | ||
| 地頭 | : | 柏崎真由子 |